第 77 週 平成21年5月17日(日)〜平成21年5月23日(土) 

第78週の掲載予定日・・・平成21年5月24日(日)

八 ヶ 岳
(3p目/7pの内)





 挿画 児玉悦夫

 古障子に筆太に『飲食店』と書いてある。元気付けに一杯やるつもりで入ったのだが、赤々と燃えている囲炉裏の火を見ると、とても歩き続ける気力はない。何やら汁物を煮ている四十がらみの男に声をかけた。
  『ご亭主。板橋まで行くつもりだったんだが、日も暮れたしそれに疲れていてとても歩けそうにない。すまないが、部屋の隅にでも休ませてくれないかね』
  『ようがすとも。さあさ、あがんなさい』。
 愛想よく言って囲炉裏端に薄い座布団まで出してくれた。牧水らのほかに一人先客があった。亭主も混じえて酒を飲みはしめた。肴はきのこ汁。冷えた腹にしみてうまかった。
 翌朝、牧水はまだ暗いうちから目覚めた。飲んだ翌朝はいつものことだ。隣の間の囲炉裏では亭主が火をたきつけていた。顔を出すと、亭主があいさつした。
  『昨晩はご馳走さんでー』
  『いや、お騒がせしたね』。
 酒を買って亭主と相客に大分ふるまったらしい。前夜の柊花のランプ部屋騒動をさかなに飲んでいるうちに前後不覚に酔ってしまった。バツの悪いのを苦笑でごまかした。
 柊花はいくら呼んでも頭をあげない。昨夜の相客、荷馬車の親方が起きてきたので三人で迎え酒を始めた。柊花がよろばいよろばい起き出だのは十時過ぎ。荷馬車に乗せてもらって出発した。
 落葉松林の中の道を行った。晴れ渡った青い空の下に薄黄に染まったこの若木の原が果てしなく続いている。

 落葉松は療せてかぼそく白樺は冬枯れてただに真白がりけり

 牧水は即興の歌はくちずさんだが、柊花は荷馬車の積荷につかまっているのがやっとの思いだ。『大丈夫か。腰をゆわえつけてやろうか』。ひやかしても首を振るだけだった。
 八キロほど歩いて市場という所に来た。親方が『きれいな娘がいます』という一軒屋の茶店で昼食をとった。昨日は八ケ岳の南側、今日は東北麗をめぐって松原湖に四時過ぎに着いた。
 松原湖は大月湖、長湖、猪名湖の三つの湖を総称する湖で標高千百b。冬は厚い氷で閉ざされる高原の湖だ。
 湖畔の日野屋旅館に草鞋を脱いだ。ほどなくここで落ち合う約束の重田行歌、荻原太郎、大沢茂樹、高橋希人の四人がやってきていっぺんに日野屋が賑やかになった。

 遠く来つ友もはるけく出でて来て此処に相逢ひぬ笑みて言なく

 酒のみの我等がいのち露霜の消やすきものを逢はでをられぬ

 木枯しを聞きつつ寝物語が続いた。

 昨夜は夜通し木枯しが湖畔の宿の二階を揺さぶり続けた。今朝も烈しく吹いている。そのうえ細雨まで混じってきた。
 昼食まで炬燵にしがみついていたが午後は、牧水は今日中に松本まで帰ると言う高校生の高橋を送りがてらに湖畔を歩いた。残りは酒の肴にしようときのこ狩りに出かけた。三時すぎには強風に落葉が渦巻く中を彼らが鴨と山芋を提げて帰ってきた。早くから雨戸を締めて鴨鍋を囲むことになった。七輪の火が赤い。

 この寒き冬のゆふべに煮なむものこの青首の鴨にしかめや

 明ければ十一月三日。風はむしろ強まり落葉といっしょに樫鳥まで吹き飛ばされるのが見えた。この日は神妙に部屋にって籠もって歌を作って過ごした。

 声ばかりするどき鳥の樫鳥ののろのろまひて風に吹かるる

 四日は皆に別れて牧水ひとり千曲川の上流を目ざす予定だったが、重田行歌の新婚家庭を皆で訪れることになり布施村の同家に泊った。新妻の手料理の鯉こくととろろ汁に満腹してその夜は早く床についた。

 みすずかる信濃の国は山の国海の魚なくて鯉があるばかり

 五日はさすがに別れることになった。岩村田駅から牧水と中込の細君の実家を訪ねる大沢が汽車に乗った。ただ、この日も例によって草鞋酒を過ごしたため出立が夕暮れ近くになっていた。
 四、五日賑やかに過ごしたあとの別れは寂しい。中込駅に着けば降りるはずの大沢を口説き落として終点の馬流駅まで同行させた。そして泊った旅館橋本屋が料理屋兼業だった。
 大沢に無理を言ったのと、身内に広がるうすら寒さをまぎらすため内芸者を総あげして予定外の宴会になった。

 逢うてうれしや別れのつらさ
 逢うて別れがなけりゃよい

 牧水と大沢が交互にうたう伊那節が三昧の糸に乗って夜の町に流れた。牧水が泣き上戸に変身するのはこんな宵の酒だった。
 六日は大沢が口火を切った。
  『先生お一人を旅立たせるのは気が揉めて仕方がない。もう一日お供しましょう』。
 牧水がそう願いたい矢先の申し出だ。
  『おありがとうございます』。
 ひょうげて言ったが、その実涙ぐむほど若い大沢の好意がうれしかった。千曲川沿いに歩いて鹿の湯温泉に者いた。ところが、鯉の昧噌焼で一杯始めたところに裁判所、警察、営林署合同の一行がやってきたため部屋を台所の真上にあたる小部屋に変えられた。
 炊事の煙が吹き上がる。腹が立ったから宿を出て四キロ程上流の湯沢の湯に移った。
八 ヶ 岳
(4p目/7pの内)




 挿画  児玉悦夫
八 ヶ 岳
(5p目/7pの内)




挿画 児玉悦夫

 官吏の団体客に燻し出されて移った湯沢の湯だが、同じ山の湯だから変哲もない。それに前夜の酒宴で疲れてもいた。少量の酒で早くから寝床に入った。
 七日は烈しい吹き降り。ガラス窓にたたきつけられた落葉がその破れから浴槽に飛び入る有様だった。動くに動けず終日炬燵にもぐっていた。
 八日は早朝から草鞋をはき、昼過ぎには一日に柊花と荷馬車の親方と三人で昼食をとった市場の一軒茶屋に着いた。美しい娘がいるあの店だ。
 いよいよここが別れ道だ。一杯飲んで別れようと草鞋のまま土間の炉に足を踏み込んだ。ふとみると土壁に見事な雉子が一羽かかっている。見過しにする手はない。
  『これを料理してもらえないかね』。
 店の親父に頼むと二つ返事で承知してくれた。すると店の奥から娘が出て来て
  『お客さん、それでしたらお二階ヘー』
 と、にわかに愛想がいい。雉子料理を注文する客などめったにいないらしい。
 とってつけたようなサービスに苦笑しながら草鞋のひもをといて二階に上った。
 娘の酌て雉子鍋をつつくうちに晩秋の山の日暮れは早い。気がついてみると外は真暗になっていた。それに初めはまめに二階に顔を出していた娘が姿を見せなくなり、かわって親父が上ってきた。
 そして北海道のタコ部屋やピストル、ヒ首を振り回してのけんか話をひとり語りして降りて行く。どうやら、昼食から小半日飲み続けて泊り込んだ二人をうさんくさく思ったらしい。娘もいることなので先手を打って威嚇したつもりのようだ。
 九日はまだ暗いうちに一軒茶屋を立った。牧水はさらに山へ、大沢は坂を降って里へ、握手して別れた。
 今朝は久しぶりの快晴。雲一つない甲信境の空に八ケ岳連山が白銀に輝やいていた。

 野末なる山に雪見ゆ冬枯の荒野を越ゆと打ち出でて来れば

 野辺山高原の六、七aもある霜柱の道をたどって千曲川上流の渓谷に出た。渓谷は平凡だったが四囲の冬枯れの山々がすばらしい。

 この谷の峡間を広み見えてをる四方の峰々冬寂びにけり

 その晩は渓谷の最奥梓山村に泊った。途中の居酒屋で会った土地の爺さんの世話で宿についたが、また鹿の湯の官吏一行と相宿になった。その幾人かが牧水が食事している炬燵に入って足を投げ出す。余りの非礼にがまんがてきず食事半ばで宿を飛び出した。
 爺さんに頼んでいかにも古びた木賃宿にかわった。官吏とはよくよく性が合わない。

 木賃宿といったが元来は大きい農家である。三間続きの奥の座敷に通されたのも意外だったが、広い上間に厩があって馬が二頭長い顔を並べていたのにも驚いた。津軽の旅での同じ経験をなつかしく思い出した。
 翌朝、まだ暗いうちに起きて囲炉裏端て酒をちびちびやっているうちに熱い飯と味噌汁が並んだ。内儀の味噌汁作りがなんとも大ざっぱなものだった。
 初めに馬の抹桶で大根葉の切ったのなどを混ぜていたが、その手を囲炉裏にかけていて温もりかけた大鍋の水に突っ込んでばしゃばしゃと洗った。それに味噌を入れ大根を入れて煮立ったら出来上りだった。しかし、それがちっとも汚ならしくなかった。

 寒しとて囲炉裡の前に厩作り馬と飲み食いすこの里人は

 昨夜の爺さんの案内で十文字峠を越えることになった。爺さんの提灯のあかりに道の霜柱が銀と橙色に染まって光っている。この峠は信、武、上州に跨る山で上下七里ある。その間に人家は全くない。行けども行けども深い針葉樹の森が続いていた。
 麗の埼玉県の奥秩父栃本村に着いたのは夕刻。山の寒気に追われるよう山路を降ってきた。この村では秩父四百戸の草分けという旧家に泊まった。
 翌十一日は爺さんは上下七里の十文字峠を越えて梓山村へ。牧水はひとりで三峰山を越え、中津川と荒川が合流する地点までさかのぼって大滝村落合に泊った。
 翌十二日はそこから東京に出て一泊、十三日に沼津に帰りついた。
 十月二十八日に家を出て御殿場から山梨県に入り、八ケ岳の裾野を歩いて長野県に抜け、松原湖で社友らと楽しい数日を過ごし、千曲川の上流を辿って十文字峠を越え、秩父地方で遊んで十一月十三日に帰った。十七日間の旅で、この間に歌九十一首を詠んだ。
 牧水はこの旅で二度も食事半ばに気分を害して宿を変わっている。鹿の湯温泉と梓山村の宿屋だ。官有林の盗材を調べるための官吏一行の人もなげな振舞いにがまんできなかった。牧水にしては珍しいことだった。
 だが、そのほかは楽しい旅であった。松原湖の湖畔の宿では、だれか一人が笑い出したところ全員がわけもないのに笑い出して止まらなくなった。驚いて顔を出した女中と内儀まで廊下に突っ伏して笑いころげた不思議な一夜もあった。 馬流駅前の旅館では若い大沢と泣いて伊那節をうたった。馬と相伴の味噌汁の味も生涯忘れ得まい。
 旅の歌人牧水が純粋に旅を楽しんだのはこの晩秋の旅が最後であった。

   
つづき 第78週の掲載予定日・・・平成21年5月24日(日)

八 ヶ 岳
(6p目/7pの内)





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