第 66 週 平成21年3月1日(日)〜平成21年3月7日(土) 

第67週の掲載予定日・・・平成21年3月8日(日)

みなかみ紀行
(6p目/11pの内)




 挿画 児玉悦夫

 老案内者は、焼岳の煙が信州路なら雨。反対に飛騨になびけば晴れると言う。
 『山の人たちの天気見は確かだからねえ』
 牧水は感心してみせたうえで言葉を継いだ。
 『ところで爺さん。どうしてもあの山に登るのはいやかね。そんなに危険なのかねえ』
 『登れねえことはねェだが、永いこと登ってねえだから路がどうなっているだかサ』
 『上高地の宿で詳しいことを聞けばいいじゃないか。大体のことは前々から知っているんだし、路もそう大した変わりはないよ』
 牧水は、白骨から上高地、そこから飛騨に越して平場に回り、高山町に出て越中路を歩き、富山市から汽車で沼津に帰る考えだった。
 上高地から平湯までの道を地図で見ると焼岳の麓を通っている。そこで焼山登りを宿の者に相談したのだが、十月半ばの焼岳登山は無理だとことわられた。
 そして平湯までという約束でつけてくれたのが老案内者だった。
 しかし、いま眼前に焼岳を見て牧水は登山の願望を押さえきれない。それから山路をたどりながら老案内者をくどいた。
 『そうまで言うんなら今夜上高地温泉でよく聞いてみるだ。昔の路と変わりねえようだったらなあに心配はねえだ』
 いかにも善人らしいあから顔の老案内者は牧水の執拗なまでの頼みに折れた。
 牧水も『年寄りに無理を言って』と内心思わぬでもなかった。だが、それよりも念願がかなった喜びの方が大きかった。
 自分でもおかしいほどそれからの足取りが軽くなった。

 うら悲しき光のなかに山岨の道の辺の紅葉散りてゐるなり

 しばらく行くと上高地と平湯に道が分かれている。明日は焼岳から降りて飛騨に越える平湯への道を歩くことになる。そう思いつつ上高地への道を急いだ。  しばらくすると、これまで続いた紅葉の森林とは全く異なる地帯に行きあたった。そこには真白に枯れた巨木が林立していた。
 大正四年六月六日朝、焼岳が突然大爆発を起こした。噴火口から流出した多量の泥流が梓川の本流をせき止め、霞沢岳と焼岳との間に面積約四十万平方bの大正池を作った。六年前のことだ。
 この世の様とは思えぬ巨木の墓場はその時に熱灰をかぶったものだ。牧水らは背筋が寒くなる思いで逃げるようにこの地帯を抜けた。
 その先には荒々しく波立つ溶岩の川原が開け、さらにその奥に大正池が満々と梓川の清流をたたえていた。
 真青い湖面には先刻と同じ白い巨木が梢だけを見せていた。

 焼岳の泥流が作ったダム大正池をのぞくと水没した巨木の幹や枝に水藻が青くまといついている。目をこらすと小魚の群が眺められる。湖水も、池を抱く険しい岩山も声ひとつ立てない。
 牧水は急に寂しくなって水際を離れた。老案内者を促して大股で道を急いだ。栂の森に入ると彼がはっとした声で言った。
 『もう大丈夫だ。この森を抜けさいすりゃ宿屋だ』
 上高地温泉は、大正池の上流の川の岸に二、三棟の屋根を並べただけのわびしいたたずまいで二人を迎えた。日はまだ高かった。
 十月半ばになるとここを訪れる湯治、遊山客はない。通された宿の二階はすっかり雨戸を引いていた。宿の者がその一部屋に案内して雨戸を繰った。古畳を秋の日が射した。
 無色無臭。澄み切った温泉に手足を思い切りのばした。長湯のあと、夕食までに時間がありそうなので温泉の付近を歩いてみた。
 川の真正面のそぎり立つ岩山が夕日に映えて暮れなずむ空に静まり返っている。穂高である。
 見返えれば夕日を背後に回した焼岳が黒々とそびえ、頂からの噴煙が風に乱れている。

 いはけなく涙ぞくだるあめつちの斯るながめにめぐりあひつつ

 まことわれ永くや生きむ天地のかかるながめをながく見むため

 夕食の膳には熱爛を数本つけさせた。案内者の口振りからいける口と察してのことだ。杯をさすと案の定だった。

 老人(としより)のよろこぶ顔はありがたし残りすくなきいのちをもちて

 宿の主人に焼岳登山の道筋を聞いて翌早朝二人は上高地の温泉宿を出発した。十年前に硫黄採取に登っただけの案内者に大爆発後の焼岳は非情であった。
 たちまち通に迷って大噴火でできた深く長い亀裂で立ち往生してしまった。だが、まごまごしていれば霜解けのため落ちてくる岩石に打たれかねない。
 運を天に任せて必死の思いで亀裂の底からはい登った。そして九死に一生の思いで頂上にたどりついた。正午に近かった。
 白煙が立ち昇る頂の上に広がる空はあくまで青かった。槍ヶ岳、穂高の諸山をはじめ信州、飛騨、木曽、甲州、加賀の山脈が周囲に近く遠く競い立っている。
 そして信州、木曽路側と老案内者が指さすはるか彼方、低くたなびく霞の上に思いがけず富士の麗峰があった。

 登り来て此処ゆ望めば汝が住むひむがしのかたに富士のみね見ゆ
                                     (妻へ)

 その麓は喜志子と四人の子供が住む沼津だ。
みなかみ紀行
(7p目/11pの内)




 挿画  児玉悦夫
みなかみ紀行
(8p目/11pの内)




挿画 児玉悦夫

 半死半生ではい登った焼岳頂上だ。それだけにパノラマ状に広がる眺望はすばらしかった。牧水の両眼が涙でかすんだ。その感動をふるえるペンで絵葉書にしたためた。

 『いま焼岳の頂上に在り、噴煙、わが身を中心にして四方随所に昇る。すべて岩の亀裂より湧くなり。然らざれば砂礫の地に穴して吹き昇るなり。四方広明、遠く南々西の空に当りて富士の峰見ゆ

 信濃なる焼岳の峰ゆ汝が住む沼津の上の富士の山見ゆ

                    喜志子様        牧水 』

 登山路を踏み迷った老案内者はすっかりしょげていた。牧水も腹立たしかったが、不案内を承知で無理強いしたものだ。罪はこっちにある。文句を言えた筋合じゃない。
 『危い目にはあったが、お陰で天下の絶景を見ることができた。爺さん、ほんとに無理を言ったねェ。今夜は酒をはずむよ』
 肩をたたいていたわった。そして原生林の中の険しい道を駆けるようにして下った。十`余も来ると麓に近いらしい。十戸足らずの集落に着いた。その先の蒲田温泉で手足を伸ばし気付けの酒をやる心算だ。
 ところが、驚いた。老案内者が此処だという地点は一面の川原になっている。材木を流す仕事をしている労務者に聞くと、昨年か一昨年かの大洪水で一軒残らず流されたと言う。
 仕方なくそこから八キロ余もある福地温泉に向かった。だが、ここも同じ水禍にあって跡形もない。荒れた川原が白々しい。
 焼岳からの道は飛騨路だ。信州の白骨温泉の老案内者はもちろん宿の主人でさえ蒲田、福地の二つの温泉が流失していることを知らなかったらしい。
 あいた口がふさがらぬ思いだったが、今更悔やんでも仕方がない。綿のように疲れ切った身体にむち打ってさらに八`余あると言う平湯温泉まで足をのばすことにした。
 もともと上高地の次の泊まりは平湯の予定だった。ところが欲張って焼岳に登ったため思わぬ長丁場で難儀することになった。
 平湯温泉は乗鞍岳の西北麓、飛騨奥地の有名な温泉で標高千二百三十b、高原川上流の小盆地にある。
 月を背にやっと辿り着いた。何軒か川沿いに並ぶ温泉宿のうち老案内者が昔馴染という一軒を選んだ。不運はどこまでも付きまとうものだ。満室だと断わる。
 だが、他を探す気力はない。やむなく日頃は使っていないらしい屋根裏みたいな部屋に泊めてもらうことにした。
 上高地から平湯まで、三十六、七`余の中部山地の険しい山道を上り下ってきた。一刻も早く温泉にひたりたい一心だった。
 

 平場温泉にはただ一カ所共同湯があるきりだが、牧水らが泊まった船津屋旅館には狭いながらも内湯があった。泥にまみれた旅装を解くと浴室に降りて行った。
 浴室は田んぼに突き出た格好で、破れた板壁とガラス窓から月がさし込んでいた。胃腸病とリューマチ、神経痛に特効があるという湯は塩分を含んでいる。焼岳の大亀裂からはい登るときについた手足の傷にしみた。
 長い入浴のあと屋根裏めいたあやしげな部屋で老案内者相手に酒を飲んだ。さしづめ 『生命拾いの酒』だった。
 老案内者は牧水が勧めれば、『いや、もう存分で−』と顔の前で掌をひらひらさせながらいくらでも杯を重ねた。ついには、うちわのような掌を打って歌い出した。
 オンダモダイタモエンプチハウノモオマエノコジャモノ、キナガニサッシャィ、イカニモショッショ
 ヒダノナマリパオハエナ、マタクルワイナ、ソレカラナンジャナ、ムテンクテンニオリヤコワィ、ウソカイナ、ウソジャアロ、サリトハウタティナ
 牧水の耳には聞きとりにくい土地の唄を繰り返し歌ったあげくに踊り出す始末。そのうえに禿げた頭を低い天井に思いっきりぶっつけひっくり返ってしまった。
 牧水は身をよじって泣き笑いした。
 翌朝、牧水はこの愉快な老案内者を白骨温泉に帰してひとり飛騨の高山に向かったが、前日の疲れが残っていて足が重い。途中の村で一泊して次の日ようやく辿りついた。
 高山では一番という永瀬旅館に宿を乞うた。出てきた番頭が、ござを背負って杖をつき、髪は一カ月余りも床屋に行かぬため伸び放題の牧水の風態を上から下まで品定めしたあげく『あいにく満員で−』と、にこりともせずに断わった。
 だが、牧水は一歩も動きたくない。押し返して頼んでいると奥からおかみが出て来て『どんな部屋でもよかったら』と、承知してくれた。哀れに見えたものか−。
 通されたのは二階の上り口の長四畳の小部屋だった。横になれたらそれで結構と、入浴をすませると酒をたのんだ。
 ちびちびやっていると、階下で電話のベルが鳴る。山の秘湯に長逗留していたためすっかり電話があることを忘れていた。電話に気づくと高山に連絡すべき友人がいることを思い出した。早稲田の同期で文学仲間、飲み友だちでもあった福田夕咲だ。
 電話口に呼び出すと、夕食中だったが箸を放り出してかけつけてきた。
 『おい、若山君どうした』
 部屋に入るなり牧水の両肩をつかんだ。

   
つづき 第67週の掲載予定日・・・平成21年3月8日(日)

みなかみ紀行
(9p目/11pの内)





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