第 46 週 平成20年10月12日(日)〜平成20年10月18日(土) 

第47週の掲載予定日・・・平成20年10月19日(日)

小 枝 子
(11p目/19pの内)




 挿画 児玉悦夫

  父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く旅をおもへる

  一人のわがたらちねの母にさへおのがこころの解けずなりぬる

 牧水は周囲の反対を押し切って数日後には東京に向かった。立蔵は最後に言った。
  『どうしても東京に出らにゃ身が立たんちいうのならもう止めはせん。じゃが繁よ。まだ身体もようなっちょらん。いっとき家で養生してからでも遅うはならんどが』
 気丈な母は、自らの思いより河野への義理を言い立てて牧水の不心得をなじった。
  『佐太郎兄ちゃんが言うように、こっちで就職しても歌やらの勉強はできるじゃろが。兄ちゃんもじゃが、大学の四年開、お前と兄ちゃんの仲に立ってきたスエ姉の苦労もちったあ考えにゃすむまいがー』
 だれの言うことも無理はない。もっともなこととは自分でも承知している。
 しかし、このまま身内の言うままになって田舎にとどまっていたんでは、これまでの勉強が水の泡になる。それこそ、河野の兄さんにも申しわけない。
 牧水は理解してもらえなくても同じ弁解を繰り返すよりほかはなかった。
 家族たちの連日の話し合いに疲れ切って牧水は坪谷の家を出た。
 病む母は寝床の上に起き上がってはいたものの口をつぐんだきりだった。
 『やっぱり行くか』。父立蔵はそう言って冷酒を湯呑についでくれた。『身体を大切にせにゃ』と言ってくれたが、座ったままだった。
 足の不自由な姉シヅが門口まで見送ってくれた。
  『繁、うちのことは心配せんでん、どんげかなるが』
 両親や姉夫婦の家族会議の間、隅に追いやられた形で一言も口をはさめなかったシヅであった。初めて彼女が口にした温かい言葉に牧水は泣いた。
 逃がれるように家を出た牧水の背に村人たちの目は冷たかった。彼が帰郷はしたものの就職口も決まらずまた上京する。そのうわさは、坪谷川に沿って散在する狭い村中にたちまち広がっていた。
  『繁あんちゃん』
 延中生若山繁を敬慕した年下の者たちですら彼の滞在中どう気を使ったものか、近寄ろうとはしなかった。
 帰郷の時よりもいっそう疲れ切って牧水が東京にたどり着いたのは九月ももう末。上野駅を出ると秋の風がまずうらぶれの身をつつんだ。j
 その日から病床に伏すことになった。
  極度の疲労から病床にふすことになったが、牧水は寝てばかりはおれない二つの難題をかかえでいた。
 一つは、新しい文芸雑誌の発行であった。その雑誌名は『新文学』。『ぐれさん』の文潮社から発行の予定であった。この年の三月初め文潮社主人から、自社から文芸雑誌を発行するので編集を引き受けていただきたいと申し出があった。
 その手始めに牧水の歌集『海の声』を出すことになったもので、文潮社と牧水にとって本命は『新文学』の発行であった。
 ところが、『海の声』の製本の途中に『ぐれさん』が出版業から手を引いてしまった。結局、牧水が師の尾上柴舟や友人から金をかき集め、専念寺境内の離窯てある自分の宿を『生命社』と名付けてかろうじて出版にこぎつけた。
 このため『新文学』も同様に『生命社』を発行所に創刊することにしていた。
 早稲田大学卒業後の軽井沢滞在、名古屋から奈良への旅、そして坪谷帰谷中も雑誌発行の思惑が脳裏から瞬時も去らなかった。
 十一月から原稿集めにかかった。『新声』編集にかかわった関係もあって執筆者の協力は快く得られ次々に原稿が寄せられた。
 問題は肝心の資金作りだった。
  『海の声』出版経費の清算も完全に終わっていない。そのうえ新たな資金捻出。初めから無理な話であった。
 四十二年一月創刊の計画を急拠二月一日創刊に延期した。一、二の雑誌にその旨の広告を出した。新聞雑誌の文芸消息欄にも書いてもらうよう手配もした。
 編集者は牧水と佐藤緑葉。執筆者には、土岐哀果(湖友)、福永換歌、北原白秋、川路柳虹、古井勇、前田夕暮、高浜虚子のほか馬場孤蝶、内田魯庵、戸川秋骨、石川啄木、与謝野晶子のそうそうたる名があった。
 内容も小説、評論、長詩、短歌、俳句の一般文芸誌並みの内容以外に座談会記事、合評、文壇史など多彩でかなり野心的な編集が企図されていた。
  『新文学』発行の計画をほとんど一人で進める一方で十二月下旬には専念寺の離室から牛込区若松町に一軒家を借りて住居を移した。
 それに手伝いの婆やもやとった。
 この家が新雑誌の発行所となり、そして園田小枝子との新居にする心づもりであった。
 だが、牧水の意欲的な新雑誌作りに共鳴する文壇の先輩、友人からの原稿は集まったものの、資金の方は暮れが押し詰まっても一向に集まらない。
 それに小枝子も本郷の下宿春木館から移って来ようとはしなかった。
小 枝 子
(12p目/19pの内)




 挿画  児玉悦夫
小 枝 子
(13p目/19pの内)



挿画 児玉悦夫

  ふりはらひふりはらひつつ行くが見ゆ落葉がくれをひとりの男

 四十一年の年の瀬と四十二年の新春を牧水はこれまてて最も悲惨な思いで送り、そして迎えた。
 大学在学中は学資、生活費に苦しい思いはしたが、最低の保証はあった。しかし、大学を卒業したうえは曲がりなりにも一個の社会人だ。自活の道を切り開かねばならない。
 そのあてにした『新文学』発行のめどが立だない。宣伝はしたが、二月一日創刊の望みは完全に絶たれてしまった。

   よく欺く女なれども黒髪と肌のにほひにいつわりはなし

 そのうえ、自分では『妻』と思い定めている小枝子が当然喜んで新居に来てくれると思っていたのに、言葉を左右して同居に踏み切ろうとはしない。
 しかも何故に小枝子がわが懐に飛び込んでこないのか。理由が皆目わからない。それだけに牧水の焦燥と苦悶は極まった。
 一方、雑誌発行の経費どころか毎日の米塩を購うことさえ事欠く貧窮。思い余って前年七月、ようやく発行した処女歌集『海の声』をただ同然の安値で手放して急場をしのぐことにした。
  『海の声』は定価五十銭で七百部刷った。平賀春郊らにまで『一割引き』販売を依頼したのだが売れたのは三百部。手元にまだ四百部が積まれてあった。
 それを知り合いの古本屋『菁莪堂』に引き取ってもらうことにした。知り合いと言っても相手は商売人。七百部刷って大半が残っている歌集を高値で買ってくれるはずはない。
  『若山さん、申し訳けないが引き取ってもあとの見込みがー。勘弁してくださいよ』。
 引き取るとは言わない。足元を見てかさにかかって言っているわけではなさそうだ。
 牧水にはこのほかに金に代える物がない。辞を低くして頼み込んだあげく、菁莪堂から示された買い値は一冊僅か八銭だった。
 さすがに牧水も声が出なかった。
 それより二間切りの家の隣室でやりとりを聞いていた婆やがたまりかねて声をかけた。
  『旦那さま、それじゃあんまりでございますよ。八銭なんて−。なんとか売らずにすむ法はございませんかー」。
 泣き伏してしまった。彼女はしっかりした家の出だが、事情あって女中奉公していた。牧水を若い主人というよりも、身内とでも思うようなところがあった。
 牧水は泣き笑いして代金を受け取った。
 その金を懐にして彼は一月二十七日からひとり房州の海に向かった。前年、小枝子らと一緒だった根本と浜続きの漁村だった。

   物ありて追はるるごとく一人の男きたりぬ海のほとりに

   海に来ぬ思ひあぐみてよるべなき身はいづくにも捨てどころなく

 南房州の漁村布良によるべなき身を寄せた牧水の胸のうちは暗澹たるものであった。

   耳もなく目なく口なく手足無きあやしきものになりはてにけり

 だが、それでも小枝子への思慕は捨てかねていた。いや、むしろ彼女が理由も明らかにせず新居に移ることを拒んでいることが胸の炎を燃え盛らせていた。
 布良滞在中、親友の直井敬三に頼んで彼女の下宿を問わせた。小枝子の真意を聞きただしてもらいたかった。
 小枝子にはのっぴきならない事情があった。彼女は単身上京はしているものの広島県沼隈郡鞆町には直三郎という夫と二人の子供がいる。戸籍上はれっきとした人妻である。
 人目を忍ぶ仲ならばともかく、牧水と牛込区の一軒家に同居することになれば姦通の大罪を犯すことになる。
 自らもそしていとしい牧水にとってもそれは身の破滅である。
 牧水は、彼女がかつて結婚していたらしいことは薄々気付いていた。だが、彼女の知られたくないであろう過去を直接に問いただすことをしなかった。
 愛する者への遠慮と、彼自身の傷つきやすい心がそうさせていた。
 もっとも彼が思い切って小枝子に聞いても、故郷に夫と子供二人が現存する、そう彼女が正直に告白したかどうかはわからない。
 とにかく、小枝子の抜き差しならぬ身の事情を牧水が知らないところに、彼の悲劇があった。
 小枝子との関係もはっきりせぬまま、行きと同じようにうらぶれ果てた思いを抱いて南房州の海から東京の雑踏の中に帰ってきた。

   いかにして斯くは恋ひにし狂ひにし不思議なりきとさびしく笑ふ

   逃れゆく女を追へる大たわけわれぞと知りて眼眩むごとし

 懊悩から逃れるすべは歌しかなかった。幾首も幾首もその悩みを文字にした。だが、その歌すら彼の強がりで心のままを映しているとは言えなかった。それほどに小枝子を思う心は烈しかった。
 それは『逃れゆく女』では決してない小枝子も同様だった。ただ彼女は、その思いを託して歌を詠むすべを知らなかった。両の乳房をかき抱くのみであった。
 雑誌発行と同居の夢破れて三月中旬、牛込区の家を引き払った。代わりに佐藤緑葉が移り、新婚家庭を営むことになった。

   
つづき 第47週の掲載予定日・・・平成20年10月26日(日)
小 枝 子
(14p目/19pの内)



挿画 児玉悦夫
  「牧水の風景」トップへ