第 33 週 平成20年7月13日(日)〜平成20年7月19日(土) 

第34週の掲載予定日・・・平成20年7月20日(日)

大学かいわい
(7p目/10pの内)




 挿画 児玉悦夫
 北原と同じ下宿清致館で生活するようになって牧水の行動範囲が広くなった 上京してすぐに牧水が下宿したのは麹町三番町の井川方だった。そこからほとんど早稲田大学へ一筋道を往復した。休日や夕方など散歩するといっても、靖国神社の境内を抜けて九段坂を降り、神田神保町の本屋街を見て歩く−だいたいそんなところだった。
 それが北原と一緒になって学校の帰りに穴八幡の境内に入り、その社の森から樹木がうっそうとした参道をたどって外に出てみた。
 そこには思いもかけぬ平野がひらけていた。
山奥の日向から出て大都会の町並みの繁華と人々の雑踏にもまれもまれての毎日だった。だからその町並みを僅かに抜け出たこんな近くに広々とした田園があるなど想像もつかなかった。
 新奇なおもちゃをあてがわれた幼児のように驚喜した。中林や北原を誘っては木の下道をたどり、さらには田畑の中をくねくねと続く小径を歩いて野原に出た。
 そして行きついた所が戸山ケ原のくぬぎ林であった。坪谷の付近の山にもくぬぎ林はある。それを伐採しておけば放っておいても春秋に椎茸がとれた。
 故郷のくぬぎの自生林は山の中腹から上にある。だが、牧水が行きついた戸山ケ原のくぬぎ林は平野のただ中にあった。
 群生するくぬぎの間の下草は案外に深い。
それを踏み分けて歩き回った。一歩々々足音をしのばせた。梢にいる小鳥たちの安らぎを破らぬよう用心して歩いた。
 ある日は、田園の中の小学校からオルガンの音と子供らの歓声がこだましてきた。運動会でもあっているらしかった。
 林の中を歩いていると、ふと故郷の人々が恋われてならぬことがある。
 延岡の猪狩白梅の母くらからきのうは写真とハンカチ、それに『友人との文通もたいへんだと思うから−』と切手を同封した手紙をもらったばかりだ。
 二十日はど前にも、くらからは五円の為替を送ってもらっている。同級生の母というだけなのに親身も及ばぬ心づかいをしてくれる人である。
 秋の武蔵野は、遠い故郷の山と川と、そこに住む人々をなつかしく思い起こさせた。
 静寂のなかに暮れゆく森や野、田園、そして濃紫の富士は美しいだけ“てなく哀愁にみちていた。

    から松やさむき山の日やまがらす
    山の声きくあさ峠かな

    啄木鳥の木つつくおとに朝木立
    木立しづかに秋めぐるらし

 野にははやくも初冬の気配があった。
  戸山ケ原の散策はあきもせずに毎日続いた。散策というよりも、牧水にとっては探訪にひとしかった。
 連れは北原か中林。そのたびに新しい魅力に出会った。戸山ケ原を横切って四谷に出て、そこから電車で神田に回った日もある。
 その日は中林が一緒で、ついでにオーバーを買って帰ることにした。ふところと相談して手ごろのを買った。中林は交渉上手で、十一円という主人を値切り倒して九円にしてくれた。
 東京の冬は初めてだ。南国と違って寒さもきびしそうだ。
 それを察してくれたものか。都農の河野佐太郎から電報為替四円送ってきた 毎月の決まりより一円多かった。
 『御恵送下され候金四円、只今ありがたく拝領仕り候。うれしさはいつもながらのことなれど、思ひがけなき一円だけの増金ありし事とて、今日はまた別段うれしく候ひき。さて、この一円の金を、どう言ふものに使おうか、あれもほしく、これも買い度しなど、いろいろ考へて、とうとう先日より大に不自由をこらへ居りし教科書を一冊買ひ求め候』
 九円を投じてオーバ一着買い求めたことを都農の義兄に報告するまでもない 日曜日の朝早く延中同窓の日高園助と甲斐猛が清致館を訪れた。
 日高は上京して高商の受験勉強をしていたが、失敗した。それ以来、気落ちしきっている。
 二日前の便りにも『あきらめて細島に帰ろうかと思うが・・』と、ぐちをこぼしてきた。折り返しに気晴らしに遊びに来るよう言ってやったのだった。
 曇ってはいるが、降りそうにない。家にいてもぐち話になりそうなので誘って外に出た。
 江戸川堤を歩いて鬼子母神の境内に出た。三人で殊勝にさい銭をあげたりしたが、日高はともかく甲斐は何を願ったやら−。
 境内の東側には古い墓地がある。周囲はやぶになっている。その中の小径を行くと田地が広がる。そこを北に歩き続けると池袋駅に出る。
 通り過ぎて板橋まできたらさすがに疲れた。都合よく間もなく汽車が出るというので、それに乗車して目白に出た。
 午後はいったん下宿に帰って今度はいつもの戸山ケ原に二人を案内した。  武蔵野の往昔をしのばせるたたずまいに日高も甲斐もそれぞれの思いを抱いているようすであった。
 夕方、二人は帰って行った。
  『元気を出さんけ』
 日高の肩をたたいて別れた。 
大学かいわい「創作」時代
(8p目/10pの内)




 挿画  児玉悦夫
大学かいわい
(9p目/10pの内)





挿画 児玉悦夫
 明治三十七年も十二月に入った。
 上京して足掛け七カ月。牧水も東京の暮らしに随分なれてきた。散歩の足をのばしたのも戸山ケ原にとどまらない。
 十一月下旬のある日、午後からの授業をほおって北原と散歩がてらに文学者訪問をしたこともある。
 最初に新宿から千駄ヶ谷に出て新語社の与謝野鉄幹夫妻をたずねた。あいにく鉄幹は他出していた。仕方がないので、晶子夫人に玄関先であいさつだけで帰った。
 牧水はもちろん初対面だった。顔の長い女性だなあ。それだけの印象だった。
 次は四谷まで歩いてそこから電車で原宿に出た。河井酔名をたずねたのだが、ここも留守。結局、麻布算町の鮫島大俗をたずね、ここで夕食まで馳走になって帰ってきた。
 そのほかは下宿で逍遙の『新曲浦島』、鏡花の『高野聖』、紅葉の『金色夜叉』、蘆花の『不如帰』などを読んで過ごした。
 −十二月一日の午後、海野が久しぶりに下宿を訪れた。彼は故郷からの送金が牧水よりはるかに少ない。
 このためアルバイトをして学資や下宿代をかせいでいる。いまは、薬屋の行商を手伝っている−と言った。
 『−制服制帽をかぶって訪問するとね。結構買ってくれるんだよ。初めはちょっと恥ずかしかったかね』
 くったくのない話ぶりだった。その生活力のたくましさが、彼の魅力であるが、牧水には、彼が明るくふるまえばふるまうほど痛ましく思えた。
 玉川村の内田もよも四日に下宿をたずねてきた。前日、きたが、あいにく留守だったので、と言った。夕方だったので小一時間ほどいただけで帰って行った。
 鶴巻町に、夫をなくしたばかりの姉と一緒に住んでいるという。
 翌日はその家をたずねた。もよの母もいて三人が喜んで迎えてくれた。   話を聞けば、若き未亡人になった姉の立場が複雑らしい。亡夫の両親や兄弟らとその後の身の振り方で話がもつれている。
 はっきり片がつかないままいまは婚家を離れているということだった。     母と姉妹がしきりに牧水をたよりにしている風情であった。だが、世間知らずの一学生ではそれに応ずる知恵も力もない。
 ありきたりの慰めの言葉でその場をつくろうよりはかはなかった。
 四、五日してまた訪ねたが、話は一向に進展しているようすはない。同じような応待で帰ってきた。夜、この話を北原にした。
 北原にも思案はなかった。
  今期の授業は十七日で終わった。この日最後の講義は逍遥であった。
 ほっとした思いで校門をくぐったが、思えば長いようで短い上京以後であった。何やら寂しささえ覚える牧水であった。
 延岡ではその足で坪谷か都農に向かったものだ。ことしは東京で年末年始を送迎することになる。郷愁であろうか−。
 翌々日は伝馬町から一時間ほども電車に揺られて水天宮前まで行った。三、四日学校を
休んでいる中林の下宿をたずねた。
 『どうも熱に弱いものだから』
 風邪ぎみで寝込んだと言うことだが、顔色もさして悪くはない。二時間はど話し込んで昼前に別れた。彼も故郷には帰らないということだった。
 その足で本所の松代町に行った。この町の本所病院に坪谷出身の富山しげ子が移っているということだった。だが、 『もうずっと以前にやめてますよ』。
 白衣の看護婦の応待はやさしげな姿に似合わず素気なかった。
 そこから三十分も歩いて両国に出て電車に乗った。清致館にたどりついたのが午後三時過ぎ。富山に会えずがっかりしたためか、ひどく疲れていた。
 いよいよ大みそかが近まった二十五日、坪谷から父立蔵からの封書と、裏にマキの名を書いた小包が届いた。
 父の手紙は慈愛あふるる文面であった。面と向かえば口数少ない父である。それだけに綴る文字の一つ一つが心にしみ入った。
 小包には椎茸とかち栗が入っていた。かち栗はいつものように母が自分で拾ってきてつくったものである。
 思えば、父母の膝下を離れて初めて迎える暮れと正月だ。
 それとはあからさまに書いてはいなかったが、それを寂しいものに思う父の情が文面にあふれていた。母の想いはていねいに結んだ小包のひもにさえこめられていよう。
 翌日は、椎茸を持って鶴巻町の内田もよをたずねた。だが彼女も姉も年末の仕度で多忙のようすに、手持ちぶさたになって帰ってきた。
 もよは、二十日にたずねてきてくれている。取り立てて話はない。故郷の味を届けるだけのつもりで来たのではあるが、何か肩すかしでも食ったような気がした。
 とりとめのない話でも、それをかわす時間が牧水にはとても充実した時間であった。
 故郷からは、猪狩くらから二円の為替と切手二十枚。美々津の福田米子からも『都農のスエ姉から頼まれた』と、五円送ってきている。
 佐太郎からのいつもの三円のほかに、こっそり送金してくれたものだ。


   つづき 第34週の掲載予定日・・・平成20年7月20日(日)

大学かいわい
(10p目/10pの内)





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