第 24 週 平成20年5月11日(日)〜平成20年5月17日(土) 
第25週の掲載予定日・・・平成20年5月18日(日)

早稲田時代
(3p目/16pの内)





 挿画 児玉悦夫
 故郷の人とはだれだろう。不審に思いながらもあわてて階下に降りてみた。  玄関のたたきに背の高いがっちりしたタイプの若い男が突っ立っている。年齢は牧水とほぼ同じころだろうかー。
 『若山ですが−。君は−』
 『ぼくも東郷村出身です。海野実門と言います。小野葉桜君をたずねたんだけど、あいにく不在で−。弱って女中さんに相談したら同郷の若山さんがおいでだというんで、呼んでもらいました。遅くにすまんです』
 『ああ、そうですか、東郷は、ぼくは坪谷だけど、海野君は』
 『山陰の下の福瀬です。美々津にくだる途中の中ノ原から入った所ですよ』  そう聞いたら改まっていた言葉使いがいくらかぞんざいに変わってくる。
 『まあ、とにかくあがろうや、立ち話もできんが』
 二階の自室に案内した。起き抜けの布団を隅に押しやって二人あぐらをかいて向き合った。
 坪谷と福瀬と言えば、東郷村の東と西の端同士だが、東京に来れば身内同然だ。遠慮はない。
 話を聞くうちに互いの事情がわかってきた。
 海野は、福瀬の小学校を出て宮崎中学校に入学した。牧水より四歳上だから延岡中の開校前だった。三十年春の入学で十回生になる。
 二年前に宮崎中を卒業したが、この春まで日州独立新聞に勤めていた。五年生から学校の雑誌部長に選ばれ、校友会雑誌『望洋』を編集していた。印刷を頼んだことから新聞社の社長にも面識があった。
 卒業のあいさつに行ったら社長が 『海野君、それであとはどうするね』
 と聞いてくれた。
 『実は東京に出たいんですが、家が貧乏なもんですから、二、三年こっちで働いてからにしようと思っています』
 と、素直に打ち明けた。
 『それじゃ社で働いちゃどうかね。社員も君の人物を知っているし、君だって気がねはいらんと思うがね』
 渡りに舟だった。即座に頚をさげた。
 翌日から出社したら『記者見習』の辞令をくれた。『望洋』の原稿を早くから書いていたからエンピツにはなれている。
 先輩社口醇に重宝がられて二年余り記者生活を続けた。
 『若山君、君の名前は歌の投稿で早くから知っていたんだよ。東郷にえらいもんができたもんじゃと驚いていたつよ』
 それでますます二人の仲は打ちとけていった。縁はまことに異なものだ。
 海野の日州独立新聞記者生活はたしかに気づまりのない毎日だった。
先輩記者のうちには、思い切って地方記者としての経験を積んだうえで、宮崎の政財界に名乗りをあげる方策をとった方が現実的じゃないのかIとさとす者もいた。
 時には迷うこともあったが、このまま地方に骨を埋めるには自らを借しむ心の方が強かった。
 二半余り勤めたのも、はじめの約束通り社長に退社を申し出て上京の準備を整えた。東京での生活のあては、新聞の歌壇を通じて知り合った小野葉桜だった。
 彼自身も、新体詩や歌、俳句、美文に中学時代から親しみ、巴比論と号していた。
 小野は牧水にとって最も親しい歌友である。期せずして、未知の東郷村生まれの二人が、隣村西郷出身の小野とのきずなで相知ることになった。
 しかも、海野は早稲田の商科に入学したいiと言う。
 奇縁、奇遇と、何度か握手を繰り返すうちに時のたつのも知らず、午前零時を過ぎた。下宿への話は明日にして、その夜は、牧水と同じ布団にくるまって寝た。
 翌朝、下宿の主人に牧水から話を通した。幸いに二階の一室があいている。その日から下宿人の一人に加わった。
 あいにくの雨のなか、牧水と海野は早稲田に登校、海野は入学の手続きをとった。
  『ぼくはね、中学の校長がのんきて卒業証明書をくれなかったもんだから手続きに手間どってね』
 と、失敗談をあかせば、海野はまじまじと牧水の顔を見て言った。
  『君は顔に似合わん豪傑じゃねえ』
 四歳年長の海野があきれて笑った。
 夕方、下宿に帰った牧水は、先に帰ってあてがわれた部屋を整理中の海野を誘って、お得意の神田に出た。
 夕食は海野の上京歓迎会だ−と、ちょっと小ぎれいなめし屋に寄った。
 豚のみそ煮に酒をたのんだ。海野は、新聞社時代にさそわれる機会が多かったのだが、どうもへたでね、と盃を据えがちだった。
 酒が入ると、牧水も冗舌になる。それが魅力の深みのある声て上京以来の見聞をおもしろく語って海野を笑わせた。
 ……翌朝も二人連れ立って登校した。海野の場合は、難なく入学が許可になった。
 書類や手続きに遺漏がないのだから当然のことだ。それても海野はほっとした表情で帰ってきた。
  『ようやく大願成就だよ』
 冗談めかして言ったが、目が光っていた。
早稲田時代
(4p目/16pの内)






 挿画  児玉悦夫
早稲田時代
(5p目/16pの内)









挿画 児玉悦夫
  海野の早稲田大学予科商学部入学がかなった翌日、海野はもちろん早々に下宿を出たが、牧水はまだ床の中だった。  『海野君、すまんが先に行っててくれ。ぼくはちょっと遅れるから』
 朝、目がさめると軒を打つ雨のことがまず耳に入った。きょうで三日続きの雨だ。
 床から出るのがおっくうになった。海野にはああ言ったものの登校する気はない。朝食をことわって昼近くまずっつらうつら雨だれが子守り唄になった。  その雨も昼近くにはあがった。尾崎紅葉の『むき玉子』『むらさき』なんど読んでいたが、別に体の調子は悪くないのだから退屈になってきた。
 小学校時代の旧友丹野祐吉が寄宿している桜川町二番地の彼の姉の嫁ぎ先三浦喜一郎方をたずねることにした。
 牧水は着京いらい在京中の郷里の知人たちを暇をみつけてはたずねている。
 早稲田にもぼつぼつ話し合える学友がてきたが、まだ心底を打ち割って話せる仲にはなっていない。
 東京の空かむなしく思われる日にはつとめてこれらの人をたずねた。その僅かな時間だけでも、胸のうつろが充たされる思いがした。
 三浦方をようようたずねあてたが、丹野はいなかった。
 わざわざたずねてくれた弟の友人を姉はおろそかにはしない。遠慮する牧水を座敷あげてありあわせの物だけど、と茶菓をすすめてくれた。
  『若山さん、祐吉はね。もう半年以上も前から悪くてね、いま浅草の病院に入院しているんですよ』
 その病気も口ぶりから察するに、相当にむずかしい病であるらしい。
  『祐吉君は元気だったから、きっとまた元の体になりますよ。姉さん』
 慰めてみたが、姉は暗い顔を横に振るだけだった。−
  『ほんとにそうだといいんだけど。お医者の話では今年の夏の暑さをこらえきれるかどうかなんです。涼しくなるまで持てますかどうかI』
  『−でも』
 牧水にあとに言葉を継ぐ自信がなかったし、見えすいた気休めをこの姉には言えなかった。
 姉はまだ弟の少年時代のことなど、聞いてみたい様子でしきりに引きとめたが、牧水は二十分ほどでいとまを乞うた。
 話を闘いていると、涙があふれてきそうであいさつもそこそこに玄関を出た。 楽しいひとときを・・・とたずねたが、案に相違の悲哀に胸をとざして下宿に帰ってきた。
   『―若山さん、きょうの報告はどうしたんですか』
 夕食の給仕してくれながら下宿の若い女中が、うつむいたままの牧水の顔をのぞきこむようにして聞いた。
 同郷の知人をたずねて帰ってくると、牧水は女中たちに“訪問談”を話した。会っての話題から、当人にまつわる故郷のことまで話が広がるから彼女らも楽しみにして聞いた。
 それが今夜は一言もない。いぶかしんだ。
  『−うん、友だちは入院していてね。姉さんと言う人に会ってきたが、随分いけないようだ』
 ……あとを聞いて欲しくない。声音にそんなひびきがあった。『そうお』。女中はあとの言葉をのんだ。
 二階の部屋で読みかけの『むらさき』をめくっていると、さっきの女中が下で呼んだ。
  『若山さん、お客さあん』
 降りてみると、西清蔵だったから、思わず 『おお君か』と声をあげた。
 西も丹野と同じ小学校の同窓で、しかも中学一年まては同じ教案で机を並べた。
 部屋に通してすぐ口を切ったのは、丹野の病気のことだった。
 西にも丹野の記憶はあった。四、五年ぶりに再会した二人だ。少年の日の積もる話題がある。だが、その弾む心に暗い影を落とした丹野の現状だった。  一時間ほどいて、電車の時間がないからと西は帰って行った。
 丹野をたずねる計画は今朝東でなかった。それが学校を休んだうえ、ずる休みの原因の雨もあがったので桜川町まで行った。
 よりによってその日に、同じ小学校で学んだ西が下宿に来るとはi。
  『縁とは不思議なもんだねえ。きょうというきょうは、つくづくそう思ったよ』 西を送り出して、海野の部屋に顔を出した牧水は感にたえた口調で言った。  『奇縁と言うべきだね』
 落ちついた声で海野も同調した。
 ―その翌日、また東京の空は灰色の厚い雲で覆われた。だが、登校はした。 帰りも海野と待ち合わせて同道した。招魂あたりを散歩していたら、奇縁がまた起きた。
  『坪谷の若山君じゃないですかj』
 通りがかりの若者が声をかけてきた。
  『神門の小道といいます。坪谷を通るおりに何度か見かけたんだけど』
 東郷村の隣村南郷の中心地神門から上京、遊学している青年だった。
 牧水と海野は顔を見合わせた。とにかく下宿に小道を案内した。そして三人で言った。
  『江戸ちゅうても狭いもんじゃのう』。

   
つづき 第25週の掲載予定日・・・平成20年5月18日(日)

早稲田時代
(6p目/16pの内)








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