第 23 週 平成20年5月4日(日)〜平成20年5月10日(土) 
第24週の掲載予定日・・・平成20年5月11日(日)

早稲田入学
(9p目/10pの内)





 挿画 児玉悦夫
 五月五日から七日にかけては下宿から道路一筋へだてた靖国神社が例祭でにぎわった。
 五日は宵祭りに出かけ、六日も午前中参けいしたので登校は午後からになった。
 上京の当座は上野の人混みにへきえきした牧水だが祭りとなるとしりが落ちつかない。
人の流れにもまれて楽しむように変わってきた。結構都会なれしたものだ。
 ことに快晴に恵まれた七日は、靖国神社の境内で奉納大相撲興業が催された。明治期の大相撲を背負って立った梅ヶ谷、常陸山の両横綱の大のぼりが薫風にはためいている。
 梅ヶ谷は初代が福岡県朝倉郡杷木町の出身で地名の志波村梅ヶ谷をしこ名にした。いまの梅ヶ谷は初代(十二世横綱) の養子で富山県の人。二世梅ヶ谷藤太郎を名乗っている。
 三十三年に大関昇進、三十七年に第十七世日下開山横綱を張ったばかりだった。一方の常陸山は水戸の人で±ハ世横綱。二世梅ヶ谷と共に同時代の大相撲黄金期をつくった名力士だ。
 両横綱の名は延岡にも早くから聞こえていた。牧水も一目見たいものだと思ったが、毎日の大学の援業がむずかしくなる一方だ。
 河野佐太郎に出した手紙にも 『−われわれ如き田舎の中学から出た身にはたいへんに苦しい。今年小生と同時に文学の高等予科へ入学せし者今日までに四百二十四人(尚ほ日々増加しっつあり)、このうち来春の試験にて大学の本科に通すのは僅か五十人と言うことで、なかなかたまったものではありません』
 こう書いてやったばかりだ。半日、授業を怠たれば、その分、仲間においてけぼりを食う。
 ついに相撲見物を断念して登校したが、靖国神社の前を過ぎるときは後ろ髪を引かれる思いだった。
 学校についたら学生たちが、声高に何か論じている。相撲に気をとられて今朝の万朝報を見損じたが、今月三日に第三次旅順口閉塞作戦を実施、おおむね作戦は成功したと報じてあったIと言う。
 教室には入ったものの、しばらくは戦勝談。教授すらその話にしばし時間をさいてからやおら本をひらくありさまだった。
 なんとなく落ちつかない空気だ。
 翌日は日曜だった。昨日着いた直井からのたよりに返事をしたためてから小野と上野、浅草に出た。
 神田で電車に乗ろうとしたとたん、打ち水がしてあった道路に足をとられてもろに転んだ。めかしてきた制服が半身泥だらけ。
 そのままで盛り場を回る不始末だった。
 牧水は五月二十二日、本郷西片町に住んでいる歌人尾上柴舟を自宅にたずねた。
 三十六年十一月から柴舟が選者になった文芸雑誌『新声』の歌壇に牧水の歌が一月、二月、四月の各号に合わせて十五首選ばれて掲載されていた。
 上京後、今月の十一日に初めて柴舟に手紙を出したところ、二十日に返書をもらった。
 ぜひお目にかかりたい−とあった。
 二十二日は、遅い朝食をとったのち、十時に下宿を出た。
 この日たずねることを先方に知らせてはいなかった。果たして在宅かどうか、心もとなかったが、不在ならまた出直すだけ、と思い切ってたずねていった。
 幸いに柴舟は家にいた。彼はまだ二十九歳の若さだった。しかし、さすがにおかし難い風格を身に備えていた。
 牧水は固くなって初対面のあいさつをした。柴舟はおだやかな顔をほころばせて気軽に座敷に招じ入れてくれた。
 『若山君、あなたの歌を拝見していてどんな方だろうと以前から想像していた。私が考えていたとおりの方でしたよ』。
 どうぞ、楽にしてくださいーとすすめてもひざを崩そうとしない牧水を、『はにかみ屋だなあ』と柴舟はみてとった。
 少年の面影が濃い牧水に好意を抱いて手元の『新声』の応募原稿を出して見せた。
 投稿はおよそ二千首ばかりもあった。一人で一度に百二十首も応募している歌人もいて少なからず駕いた。
 『毎月、だいたいこの程度の歌稿を見ていてね。そのなかから選ぶんだから、応募者の方もたいへんな難関だが、選歌の方もはたから見るより苦労するんですよ』
 と言う。感じ入ってうなずくのを追っかけるように 『若山君の歌は、投稿の大部分が掲載されているわけだが、私はそれほどあなたの才を買っている。これからは東京の空気を吸った新しい感覚で、いままでにない歌を見せて欲しいね』
 静かな語りくちながら、歌に対する並々ならぬ熱意をしのばせる言葉で牧水を励ました。
 思わぬ長居で午砲を聞いてからいとまを乞うた。『昼食を!』と言ってくれたが、はにかみ屋の牧水は固辞して立ち上がった。
 玄関まで送ってくれた柴舟は重ねて言った。
 『しっかりやってください。それにいつでも来て欲しい。今度はあなたの話を聞きたいから−』
 『新声』の歌壇選者の過分の評価と激励を受けて、小柄な彼の身体いっぱいに新しい力がみなぎる思いで下宿に帰ってきた。
早稲田入学
(10p目/10pの内)







 挿画  児玉悦夫
早稲田時代
(1p目/16pの内)









挿画 児玉悦夫
  牧水は柴舟に会ってこれまでにない刺激を受けた。
 これまでは短歌を中心に文学全体への志望を抱いていた。それが、柴舟の歌人としての識見、一途な打ち込み方を耳目で知って本格的に歌そのものを勉強する気に変わった。
 また『温厚、君子然たる』柴舟の人柄にも魅せられた。生涯師とあおぐ人であると、いささかの迷いもなく感じとった。
 下宿に帰ると、その思いがあせぬ間にと早速机に向かった。率直な思いを長文に一気にしたため、『尾上柴舟先生、座下』と書いて筆をおいた。
 柴舟もまた、牧水のいかにも田舎育ちらしい風姿ながらキラキラ光る目を見て、内に秘めた無尽の才能を改めて認識した。
 柴舟と牧水。師弟のきずなはこの日結ばれてついに変わることはなかった。
 歳月を経て牧水の没後、柴舟は、二十年前、わが家をたずねてきた牧水の若き日をしのんで『創作』牧水追悼号(昭和三年十二月)に次の挽歌を詠んだ

 尋ね来て小さく坐りし少年の 君が姿の消えむ日あらめや

 意気込みを新たにした牧水だが、あいにく『新声』が、翌六月号限りで休刊することになった。
 作歌への意欲が折角燃え上がってきたおりだけに、いきなりつっかえ棒をはずされたような気がした。
 柴舟に相談したら、これも柴舟選になっている『中央公論』歌壇に投稿するようすすめられた。
 『新声″は必ず再発行するよう話を進めるので、その間、私が選者をしているんだから今までと同じように作歌に励んで欲しい』
 しばらく彼の言葉に従うことになる。
 柴舟を訪問した翌日は、授業のあと原町に下宿している同じ早稲田の学生三津木九皐をたずねた。
 三津木は後の三津木春影で、牧水より四歳年長。長野県上伊那郡伊那町の出身。松本中学、金沢英学院を経て英文科に進んだ。
 当時、文芸雑誌『山比古』の編集員だった。『山比古』は、明治三十五年五月の創刊で、白鳩社の発行。
 窪田空穂、秋元洒汀を中心に三津木のほか太田水穂、薄原有明、小山内薫ら二十歳代の学生が主要同人になっていた。
 歌、俳句、詩、論説などの総合文芸誌で、独歩、花袋、藤村、秋骨らの寄稿家も名を連らねて、はでな存在ではないが、明治三十五、六年代の青年芸術家の活躍の場になった。
 だが、牧水が三津木をたずねた日の前月、三十七年四月号で惜しくも廃刊していた。
 三津木に同宿の窪田通治こと空穂に紹介された。『明星』時代から異色の歌人として注目されていた彼の名だけは知っていた。
 話を聞いてみると、なかなかの苦労人らしかった。松本市出身で牧水より八歳上の窪田は、二十八年に松本中学校を卒業のあと、両親には黙って上京、東京専門学校文学科に入学した。
 だが、田舎出の彼には授業内容がむずかしかった。約一年で退学した彼は、一転して実業家を目ざす決心をした。つてを求めて大阪の米穀仲買い商に奉公した。
 しかし、それも挫折した。母の病気を理由に故郷に連れ戻された。その後、養子に入ったり出たりのあげく三十二年から隣村の小学校代用教員になった。
 縁とは不思議なものだ。同僚に歌人の太田水穂がいて、彼の刺激を受け歌を作りはじめた。三十三年四月、すすめられて『文庫』に投稿した歌が選者与謝野鉄幹の目にとまり、ついで新詩社社友になった。
 東京専門学校では、自らの才能に失望したのだが、鉄幹に認められたことから埋め火を掘り起こすように自信がわいてきた。
 同年九月、再び上京、前の学校の二年に復学した。在学中から新進歌人としての名声がみるみる高まっていった。
 三十七年三月に同校を卒業したが、前の年から『電報新聞』の歌壇の選をしていた縁で、同社の社会部記者として入社した。
 三津木、窪田の信州出身の先輩歌人に会って、柴舟とはまた別の刺激を受けた。
 彼らと同郷の太田喜志子と後に結ばれるなど夢にも思わなかったが、南国育ちの牧水にない二人の資質にひかれるものを感じた。
 彼らの下宿で二時間以上も話し込んで帰ってきた。同宿の学生たちはみんな夕食をすませていた。
 話題は興味深かった。おもしろく聞いたのだが、彼らの話に合いづちを打つには、牧水の作歌も人生経験も幼かった。
 夕食後、寝床に横たわったが、神経が高ぶって眠れない。起き上がってミルクホールに行った。
 顔なじみになっていたウェートレスが気さくに話しかけてきた。
 『今夜はおひとりて−』
 このところ、一、二日おきにミルクホールに通っている。温かいミルクをすすっていると気が静まるからだ。日記にも、ミルク、母様方、阿母さま、とミルクホールの略語や隠語?をやたらと記している。
 三十分ほどいて下宿に帰った。どうにか眠れそうだ。そこへ下宿の女中があがってきた。
 『若山さん、くにからお客さんよ』

   
つづき 第24週の掲載予定日・・・平成20年5月11日(日)
早稲田時代
(2p目/16pの内)








挿画 児玉悦夫
  「牧水の風景」トップへ