第 15 週 平成20年3月9日(日)〜平成20年3月15日(土) 

第16週の掲載予定日・・・平成20年3月16日(日)

野 百 合
(7p目/12pの内)








 挿画 児玉悦夫
 二学期は九月十一日から始まった。暦では初秋だが、残暑はいっこ
うにおとろえない。学校までの道筋には樹木が多い。朝からセミしぐれ
が頭からおおいかぶさる。五十日ぶりにくぐる校門だが、気ははずまな
い。
 だが、教室に入れば気分は一変する。真黒な顔をつき合わせたり、
わけもなく握手したり。やはりなつかしい級友との再会だ。
 始業式で英語と博物の二人の新任教師の紹介があった。博物の教
師にはとりたてた印象はなかったが、英語教師は見るからに才気かん
ばつ、頭脳鋭敏の風があった。校長の紹介に続いてあいさつに立った
が、田舎の中学生に肩そびやかすていにも見えた。
 あるいは、列席の先任教師らの感じもそうだったかもしれない。
 夏目漱石が、諷刺小説『坊ちゃん』を『ホトトギス』に書いたのが、明
治三十九年四月。このときから三年近く後になるが、教師『うらなり』氏
の落ち行く先、延岡中学校のイメージは執筆以前からのものだろう。
 漱石と同じ東京生まれの英語教師柳田友麿が抱いてきた延岡中学
校への先入感も、『坊ちゃん』のそれと大差あるまい。
 柳田は明治八年生まれ。まだ三十歳の新進教師だった。東京帝大
工学部を卒業しているが、高校(金沢四高)時代から特待生を続けた
秀才で、工学部在学中にいくつかの特許もとっている。
 大学生当時から、工科の授業や教授じたいを軽んずる傾向があり、
正岡子規の門をたたいたり、文科の小泉八雲の講義に首を突っ込んだ
りという異才″ぶり。歌や俳句のたしなみも深かった。
 こんな男だから、通常のコースでは、異端者扱いされることは必定。
そう感じた友人たちが、一夜、酒をくみかわしながら言った。
 『おい、柳田君。君の頭は切れすぎて世の中の俗人共じゃ扱いきれま
い。いっとき、田舎に行って中学の教師でもして、角をまるめてきたらど
うだい』
 飲んだうえの話で、否応のやりとりがあったが、頭のいい男だけに親
友らの彼を真実案じての忠告は理解できる。
 結局、すすめに従ってやってきたのが、延岡中学校だった。
 『田舎の中学教師でも−』というわけだが、戦後すぐの『先生にデモ』
『先生シカなれん』のデモ・シカのくちとは大いに異なる。
 来た以上は、持てる才能をありったけ発揮する。頭だけでなく、気力
も充実した気鋭の教師であった。
 担任の英語だけにとどまらず、国語、漢文、数学。そして現代文学の
講義まで、彼の授業は縦横無尽になる。
 牧水の眼にも柳田は間違いなく異質の教師″と映った。
 新任当日の日記に早くも喝破?する。
 『−英語君の飛上りじみた肩づかいには、早速将来の気がもめ
て』。
 だが、時を経ずしてこの二人が、初代校長山崎庚午太郎と牧水と
同じ仲になるのだから、人間の出会いとは不思議なものである。
 十四日には、柳田の英語授業に早くも『閉口せり』。十六日には、
午後二時に正規の授業が終ったあと、さらに課外に四時間英語をや
るという。こうなったら、『閉口』とも『あきれた』とも日記に記す気力
なし−といったところだ。
 十七日になると、少々風向きがちがってくる。
 『柳田師の英語むつかしいには大閉口。
課外のPushing to front″を残りいて習う。やや面目し』
 同夜から、下宿に帰っても英語だけ″を少々復習する殊勝さに
ひょう変する。
 柳田は、子規を訪い、八雲の教室で耳を傾ける文学愛好家でもあ
った。歌も作る。さっそく二十三日の英語の時間では、牧水らの意
表をついた。
 『君たち、新詩社の閨秀歌人与謝野晶子は知ってるだろう。今か
らぼくが黒板に書く晶子の歌二首を英訳しなさい。単語をならべる
だけでもいいからやってみろー』
 新任早々、午後二時から四時間も課外授業しなければならぬほど
の、当時の延岡中学生の英語力だ。どだい、無理な話だが、彼はチ
ョウクを黒板にたたきつけるように晶子の歌を板書していくー。
 牧水らは、あっけにとられていた。
 与謝野晶子は明治十一年十二月七日に大阪府堺市の菓子商
『駿河屋』の主人鳳(ほう)宗七、つねの三女に生まれ、本名を
『しょう』と言った。
 早くから文学に親しみ、三十三年東京新詩社の創設と共に入会、
熱心に投稿を続け新進女流歌人として認められていた。同年夏、
大阪を訪れた与謝野鉄幹と会う。熱烈な恋愛に陥り、実家を捨てて
上京、父母や兄らの激しい反対にも屈せず結婚する。
 三十四年八月、東京新詩杜から出版した歌集『みだれ髪』には旧
姓名鳳晶子″で出した唯一の著で三百九十九首を収めている。

くろ髪の干すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる

膜脂(えんじ)色は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命

 など晶子一代の代表作が収められている。柳田が黒板に示した歌
が、この二首であったかどうか。それは知らない。 
野 百 合
(8p目/12pの内)









 挿画  児玉悦夫
野 百 合
(9p目/12pの内)










挿画 児玉悦夫
 柳田の授業内容は、田舎中学生の英語力ではついてゆけぬとこ
ろもあった。だが、むずかしさに閉口しながらも、手加減せずに教え
込もうとする熱意と、型破りの教授法にいつしか生徒らはひきつけ
られていった。
 この年頃の特質のひとつでもある。生徒に迎合する教師には、仲
間としての親しみは持てても、敬意と魅力は抱き得ないものである。
 特に牧水ら『曙』『野虹』の生徒にとって柳田はあこがれの的にな
っていた。
 英語の授業の半ばに、なにかのきっかけをつかむと『琵琶行』の詩
を朗々と話し、鉄幹、晶子の情熱の歌を吟じてもみせた。
 そして、柳田は、わずかな時間のうちに、牧水の文学的才能をしり
後には文学に専念するようすすめることにもなる。
 人間、むかい合う相手が『鏡』であることは師弟の間でも変わらな
い。いや、むしろ師弟の間だからそうだと言うべきだろう。
 牧水と柳田がそうだった。二学期以降、日記にはほとんど毎日『英
語』の文字が記されることになる。柳田は牧水の才を認め、牧水は
認められたことによって柳田の授業に急速に傾斜していった。
 当時はまだ、早稲田大学英文科進学の志望はなかった。だが、
この期間の英語への熱中が、英文科入学につながったのでないか
ーとの想像は容易にできる。
 それほど、日記の英語″はひんばんである。
 このころの日記のなかから愉快なエピソードを紹介してみる。
 十月五日に、体格検査があった。同級生の大部分は素直に受け
たのだが、牧水は逃げ回る。結局、翌日、仕残しの連中と一緒に受
けることになったが、結果は身長五尺三分。体重十三貫四百。
 小柄である。しかし、それが理由で、検査をきらったわけではなかっ
た。
 このころ、インキンタムシにかかって股を四五度に広げて歩行する
始末だった。
 『汁が出る、痛む、ほとほと』困っている。どうやら、大切なところの
病気が検査回避の原因だったらしい。
 ヨードチンキを患部につけて、同宿の福田らにうちわでハタハタあ
おいでもらうなど大騒ぎだった。
 気分すこぶる悪いが、婦女子には打ち明けられぬ。それとは知ら
ぬ黒木藤太の妻、つまり叔母は、 『繁ちゃん、近ごろの勉強のしす
ぎでのぼせたつじゃよ』
 としたり顔で濃い茶をすすめるありさまだった。
 秋は深まりゆくが、期末試験の準備と作歌、校友会雑誌の原稿書
きで夜は短い。
 
 牧水は十月十六日から十八日にかけて現在の日之影町岩井川で過ごし
た。
 級友で『曙』『野虹』の会員、猪狩白梅(毅)の父親に招かれて同家を訪
れた。猪狩の父親は槙峰鉱山の社員で羽振りがいい。息子の親友であ
る牧水を、延岡に出張したさいの常宿にしていた日野屋にたびたび一緒
に招いて馳走している。
 十三日の夕方も、二人を日野屋に呼んですきやきをふるまった。その
おりに、岩井川に遊びに来るよう、誘ったものだ。
 牧水は医家の一人息子。友だちの中では経済的にもまあ恵まれた方だ
し、母マキの厳しい仕付け、父立蔵の人のよさを受けついで好ましい性格
だし学力も秀れている。
 猪狩の父親の信頼が厚く、親自身が白梅の生涯の親友ときめてかかっ
ている風だった。
 十六日は土曜日。正午で授業が終わると、ベルの音を背に、牧水、白梅
は一散に下宿に駆けもどった。軽装にかえて元町に行くー。
 ここから人力車を駆る。日ごろ乗合馬車しか乗る機会のない二人は大
威張り。互いにふんぞり返って見せて大笑いする。
 曽木(北方町)を経て杉峠までの五里半(約二十二`)を約三時間で
走った。
 人力車をここですててあとは徒歩。秋の日長も滝下まできたら暮れた。
白梅の家から迎えの人が待っていた。この人の案内で暗さが一歩ごとに
増す細い道を急ぐ。船野の坂はステテコで越えた。
 上面(かみつら)からたいまつをともす。その明かりをたよりに険しい坂
を五ヶ瀬川べりまで降った。
 舟で五ヶ瀬川を対岸に渡る。暗いうえに流れが早い。牧水は渡り切る
まで声をのんだ。
 対岸に着けばまた難路の坂。降ったほどの距離を登ったら、ほどなく
猪狩宅に着いた。
 両親ら家族の歓待は牧水が考えていた以上だった。長い道のりであっ
たが、思い切って来てよかったーと思う。
 翌朝早く、はるか下の五ヶ瀬川の瀬音で目ざめる。それほどに瀬は早
く音は高い。
 昨夜はわからなかったが、家の周囲の空地はほとんどない。五ヶ瀬の
峡谷にそのまま落ち込む斜面にようやく平地を求めて家が建っている。
 山峡特有の濃い霧が、山に区切られた狭い空間を太陽が昇るにつれ
てはれてくる。あらわになった眼前の山肌、足元の深い谷。牧水が育っ
た坪谷も谷間の村だが、趣が全く違う。

       『谷二臨ミ山ヲ仰ギ、景色普通ナラズ』

 彼は、岩井川の印象をこう書きとめる。
 午前中、猟銃をかついだ白梅と弟に伴われてあたりの山を歩いた。
権現洞では気味悪いコウモリを二匹つかまえた。

   
つづき 第16週の掲載予定日・・・平成20年3月16日(日)
野 百 合
(10p目/12pの内)








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