「さすらいの旅に出る」ころ
明治四十三年  九月(1910)25歳
 


小諸の「田村病院」

園田小枝子
  牧水は色々悩みが重さなって同年九月初めにさすらいの旅
 に出ました。
  まず甲府の友 飯田蛇笏 を訪うてここに十日ばかり滞在して
 日中は富士の裾野の秋草の中を散歩して自分を省えり見、夜
 は芸術など語り合いました。
  飯田宅を辞して長野県小諸の友 岩崎樫郎 を訪いました。
  岩崎は医者で田村病院の副院長をしていますので病院に
 岩崎をたずねました。
  院長が牧水の疲労の姿を見て 「君はよほど疲れているよう
 だが幸い家の二階があいているからここでしばらく静養し給え」
 とすすめられ、ここの二階に約二か月御厄介になりました。

  牧水はここで、園田小枝子との失恋による乱酔の治療を受
 けていましたが、寝込むほどのものではありませんでした。

  この間に九十六首の歌を作りました。  その中の2首

          酒の秀歌と称せられる歌

  白玉の歯にしみとほる秋の夜の

    酒はしづかに飲むべかりけり


                        酔牧水

             

長野県小諸市西町 田村病院庭

  小諸市懐古園の「小諸城址」石垣の大石に
 刻まれた歌


かたはらに秋草の花かたるらく

 ほろびしものはなつかしきかな