母 上 京 を 許 す
大正二年 一月(1913)27歳



憂鬱の牧水(大正元年十二月)
  牧水は憂うつな大正二年正月を迎えました。元日に大牟田から
 歌会の招待状が来ました。
  牧水は母の許を得て二日に出発して大牟田に行き二月初めに
 帰って来ました。
  母が上京を許しました。牧水は五月十四日上京の途につきまし
 たがその間三月に美々津に遊びました。海の歌を八首作って
 います。
        その中の日向市権現岬の歌碑の歌

     海よかげれ水平線の黝より
          雲よ出て来て海わたれかし


  牧水は上京の途中瀬戸内海の岩城島の歌の友を訪い、ここにし
 ばらく滞在して、第六歌集「みなかみ」の原稿を整理して六月中
 旬に帰京しました。
  九月に「みなかみ」を出版しました。坪谷での作歌五百余首を
 載せ巻頭には父の写真をかかげ、「亡き父の霊前に捧ぐ」と記して
 います。
  母はその後は助産婦をして細々と暮らしを立てて息子牧水の大
 成をこいねがったのでした。




下浦海岸に転居
大正 四年四月(1915)29歳


   喜志子夫人の病後の静養のため大正四年の四月から

 翌年のの十二月まで横須賀下浦海岸に転居しました。

  この縁で、

   白鳥はかなしからずや空の青
      海の青にも染まずただよふ


  の歌碑が建てられています。





東北地方の旅
大正五年二月(1916)30歳

  牧水は家には喜志子夫人の妹から加勢に来てもらい、二月の終
 りに東北地方の旅に出て仙台、盛岡、青森、五所川原を経て五月
 初めに帰りました。
  この旅行で五所川原に行く時は生まれて初めて馬に乗せられま
 した。

  ひつそりと 馬乗り入るる 津軽野の
        五所川原は 雪小止みせり

  と作歌しています




母   上    京
大正六年四月(1917)31歳



左から姪のはる・母・岬子・牧水・旅人・喜志子
  母はその後の息子牧水の生活が気にかかり大正
 六年四月上京しました。
  牧水は新橋駅に母を出迎え母が汽車から降る姿
 に接し感極ってしばらくは涙で言葉は出ませんでし
 た。
  母は貧しいながらも平和な家庭を営んでいるのに
 すっかり安心して、毎日孫たちと遊んで一か月ばか
 り滞在して坪谷に帰りました。