第 39 週 平成20年8月24日(日)〜平成20年8月30日(土) 

第40週の掲載予定日・・・平成20年8月31日(日)

武 蔵 野
(12p目/13pの内)




 挿画 児玉悦夫
 牧水は八月末には上京の予定だった。それが想わぬ発病のため九月十二日に延びた。全快には至らなかったが、薬びんを持って細島港から神戸に向かった。
 神戸で息をついて東京に着いたのは十六日であった。着京後すぐに牛込区弁天町の下宿屋霞北館に移った。
 まだ身体がふらつくし、叔父からもしばらくは無理せぬように言われている。九月中は四畳半の部屋に布団を敷いて横になっている日が多かった。
 だが、車前草社や北斗会の仲間たちがしょっちゅう顔を出す。寄れば文芸談が百出してとても安静どころではなかった。
 しかし、それが牧水には何よりの養生になった。
  『ー東京に在って初めて生存の意義を感ず』帰郷中、坪谷から延岡の平賀にあてた手紙に書いた文句を再び東京から書き送った。
 いまの牧水にとって充実した生活の場は、東京以外に求めることができなかった。
 十月に入ってしつような病もようやくいえた。
 文学仲間との交際といま一つの楽しみである武蔵野散策に出かける日が多くなった。とくに土岐湖友とは武蔵野から御嶽に登り、山上の家に泊ったこともあった。
 ある日、学校で美術史の授業を受けている
と窓の外からしきり手を振る者がいる。授業が終わるのを待って出てみると、土岐が草鞋脚絆の旅行仕度で立っている。
  『おい若山君、つまらん授業に付き合っているとまた脳病がぶり返すぞ。どこか遠出をしようよ』
  『でも、雨になりそうじゃないか』
  『抜かりはないよ、ほら』。
 雨傘までちゃんと用意している。これでは断わりもならず同行することになった。下宿に帰って準備してあわただしく出かけた。
 汽車で武蔵野を横切って御獄から大獄に登り三晩を山上の宿で過ごしてきた。
 土岐はちょくちょくこんな突飛な計画を実行する男であった。牧水もよく付き合った。
 あるときは、牧水が下宿で豚肉のすきやきをふるまったことがある。土岐は牛肉はよく食うが豚肉はやったことがない、としり込みする。
 牧水だって牛肉が好物だが、財布が許さない。『いや、豚肉の方がうまくて栄養価も高いんだぜ』
 言いつくろって無理にはしをとらせた。数日後、上肢家を訪れたら、湖友が家の者にこの話を披露した。
 美人の妹が顔を真赤にして笑いをこらえていた。牧水は大いにてれた。
  磯の日の楽しい思い出の人である日高ひでが思いがけず牧水の下宿をたずねてきた。十二月二日のことだった。
 日曜の午前中で歌稿の整理を終わったところだった。突然の来訪にとまどいながら部屋に案内した。七月上旬以来のお互いの暮らしぶりを語り合っているところにまた下から牧水を呼ぶ声がする。
 降りてみると、有本芳水だった。彼は姫路出身の早大同期生。前年から柴舟、牧水、夕暮、汪洋が創設した車前草社に参加して『新声』に短歌を投稿している歌人だ。
 また詩草社の同人にも加わって島崎藤村、土井晩翠、薄田泣董、蒲原有明、与謝野鉄幹、晶子の先輩たちを敬慕しながら詩作にはげんでいる。特に『日本少年』に発表している少年詩が好評を得ていた。
 芳水は初めて牧水に会ったおり、九州弁まる出しの言葉つきや、頭髪は丸刈り、色黒で丸顔、身なりにも無とんちゃくな彼を見て
 『この男がほんとうにあの若山牧水なんだろうか』。作品と本人とがどうにも結びつかず戸惑ったものだった。
 それが、たびたび会ううちに牧水のこだわりのない性格や、言い知れぬうるおいを宿した眼にひかれていった。いまは最も親しい一人だった。
 日高ひでに芳水まで加わって牧水の狭い部屋が光り輝いた。
 大学の話から文芸談。若者たちの話題は輪を描いて広がる。話に熱中すると舌で上唇をなめるのがクセの牧水も冗舌になった。
 その頃、『新声』の編集方針について不満を抱いていたこともあって牧水の歌論はかなり激しいものがあった。
 小説についても、田山花袋に心酔していた時期だ。花袋と比較して幸田露伴、尾崎紅葉、広津柳浪らの作品を『時代のずれがある』と手厳しく批判もした。
 ひでは才気と情熱をほとばしらせて語る牧水の顔をまぶしいものを見る眼つきで見つめていた。
 その夜、二人は随分おそくまで話し込んで帰って行った。
 ひでは相変わらず快活だった。だが、磯の日に見た彼女の横顔のかげりはその日も消えていない。牧水はそう感じた。
 牧水の経済生活は当時安定していた。上京以後ずっと苦しんできた学資の件が一応解決したからだ。
 延岡中学校の教師黒木藤太のあっせんで、同校友会の奨学資金貸与が認められ、十月から毎月八円ずつ送金があった。
 夏休み前の落ち込みようとは打って変わって明るくなっていた。それだけに、ひでの寂しいかげりが気になった。
武 蔵 野
(13p目/13pの内)




 挿画  児玉悦夫
榎町のころ
(1p目/4pの内)





挿画 児玉悦夫
明治四十年。牧水は数え年で二十三歳の初春を迎えた。
 前年の秋ごろから、前田夕暮が計画を進めてきた短歌雑誌『向日葵』が創刊された。与謝野鉄幹、晶子の『明星』に対抗する勢いで、牧水ら車前草社のメンバーがそっくり同人として名を連ねた。
 創刊号には蒲原有明、岩野泡鳴、三木露風、有本芳水らの長詩、尾上柴舟、金子薫園、牧水、汪洋、夕暮らの短歌を掲載した。
 四六倍判本文四十六ページの瀟洒な体裁ながら、夕暮らの意気はまさに軒高。詩歌壇に新風を吹き込む気構えであった。
 牧水は創刊号に『相思樹』三十一首を発表した。翌月に出た第二号にも『山桜帖』三十四首を出すなど精力的に出稿した。しかし、経済的に行き詰まって、二号までで廃刊してしまった。
 発起人の夕暮の落胆ぶりは哀れをもよおした。
 だが、牧水の文名は一層高まっていた。一月二十七日から読売新聞の日曜版『文芸付録』に『武蔵野』と題して、牧水と土岐湖友の歌五首ずつが掲載されはじめた。
 二月末に牛込区南榎町の小倉方に移ったが、そのころの歌が『文芸付録』にのった。

 うつり来し宿のありさまふるさとの母に書く夜の春の雨かな

 榎町木立さはなる春の夜のをちこちの家のつま琴の音よ

 牧水が小倉方に移って数日後、延岡中同窓の直井敬三が彼を頼って同宿した。直井は前年八月に上京、国学院大学に入学していた。
 長年の友人との同宿は、海野、白秋らとの生活とは違った気安さがあった。毎日が楽しくてしようがない。そんな日々だった。
 その年の春のある日、思いがけぬ女性が牧水の下宿をたずねた。
 前の年の夏。いったん細島まで帰り着いていながら、神戸までとんぼ返りしてたずねた赤坂吉六家にたまたま居合わせていた園田小枝子てあった。
 彼女は牧水をちらと盗見していたが、牧水には見知らぬ女性であった。
 玄関に立った小枝子を見て彼は息をのんだ。驚くばかりの美貌の持ち主であった。
 彼女は、中国地方のなまりが濃い言莱て初対面のあいさつをした。
  『若山さまの中学校の同窓生の日高園助さまから東京に出たらたずねるよう言われましたので−』
 それにどう応持したのやら、彼女が帰ったあとでどう考えてみても牧水には思い出させなかった。
自分でも意気地ないほどどぎまぎしながら小枝子を二階の部屋に案内した。
 乱雑な六畳の問に、ほっそりしたからだつきの美貌の女性がつつましやかに座った。部屋全体がにわかに華やいだ。
 牧水は意味なく圧倒された。
 『若山さまのことは前から聞いていました。それに一度だけお目にかかったことがございます』
 昨年の夏のことです。そう説明されてもその場のいきさつは覚えているが、足音をしのばせて廊下を通り過ぎた女性があったなど無論知らない。
  『どうも、どうも、それは失礼しました』 口中がかわいて声がかすった。
 ちょっとほほをゆるめて小夜子が一通の封書を取り出した。園肋からの紹介状だった。
  『若山兄、突然のことで驚くと思う。この状持参の人は園田小枝子さんといって、例の彼女赤坂カヨの従姉にあたる人だ。東京に出て和裁などの勉強をしたいと言う。それで兄のことを話したら、ほかに知人もいないので是非紹介してほしいと頼まれた。
 迷惑かと思ったが、紹介することにした。ご多忙のこととは推察するが、お世話願えるならしてほしい。
 ただし、例のことはもうピリオドを打った。その点についての斟酌はご無用なので念のためー』
 とあった。
 赤坂カヨとは、結婚を前提とした交際は母親の申し出どおりに終ったが、近所付き合いは続いている。それでカヨが小枝子を園助に紹介し、園助か牧水への橋渡しを引き受けたーということだろう。
  『ぼくは一介の貧乏学生ですからお役に立つとは思いませんが、何かありましたらどうど遠慮なく出て来てください』。
 まぶしい目をして小枝子に精いっぱいの好意を示した。
 牧水の言葉に小枝子は幼児のようにうなずいた。牧水には気付く余裕もなかったが、やはり緊張していたのだろう、彼女のあかい唇から小さな息がもれた。
 牧水は、純粋な人なんだなあと思った。
 彼女は、牧水を日高から聞いてきた通りの方だと感じた。
 話が途切れたとき、一瞬、彼女の目をのぞき込むように見つめる彼の目が印象的だった。それに低音だが、はりのある声が心にしみいるように快かった。
 それから日高とカヨとの話になり、小一時間ほどいて小枝子は帰って行った。
 あとて帰って来た直井に小枝子来訪の話をしたが、さして興味を持たないふうだった。それより、日高の失恋と牧水の直談判に同情したりあきれたりの様子だった。

   
つづき 第40週の掲載予定日・・・平成20年8月31日(日)
榎町のころ
(2p目/4pの内)





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