幼 年 の こ ろ

歯を痛み 泣けば背負ひて わが母は
           
峡の小川に 魚を釣りにき


  幼ない頃の牧水はむし歯が多くてよく痛みました。
 痛んでおいおい泣きわめい ていると母は牧水を膝に
 抱き上げて一緒に涙を流しました。
  また或る時は泣く牧水背負って下の坪谷川に魚釣
 りに行って背中の牧水 に話しかけて痛みをやわらげ
 ようともしました。
   月に何日と日を決めて家から10町も川上にまつっ
 てある水神様に夜の 十二時に牧水を起こして背負
 ってお参りしてお灯明をあげて牧水の歯の痛まぬよ
 う祈願しました。
                         

 母恋し かかる夕べの ふるさとの
       桜さくらむ 山のすがたよ

 ふるさとは 山の奥なる 山なりき
      うら若き母の乳にすがりき


 春あさき 田じりに出でて 野芹つむ
       母のこころに 休ひのあれ

 母ひとり 拾ふともなく 栗ひろふ
     かの裏山の 秋ふかみけむ

 幼き日 ふるさとの山に 睦みたる
        細渓川の 忘られぬかも


牧水生家の下を流れる坪谷川

  母は山に入ってわらびを摘み、竹の子をもぎ、粟を拾うことが大へん好きで、 昼まで山に居る時
は昼弁当を作り、牧水を連れて出かげ、昼になると景色のよい 小高い丘や谷川のほとりで、親子
が楽しい昼食をいただきました。


     
こうした幼い頃の生活が 牧水 に自然を愛する心を育てたのでしょう。

                                             


坪谷川 の本流 耳川

あたたかき 冬の朝かな うす板の ほそ長き舟に 耳川くだる

  牧水は母に連れられて高瀬舟に便乗して耳川を下り美々津に行き初めて海を見 ました。
  そのときのことを牧水は 
『 おもひでの記 』 に次のように書いています。

  川 は愈々広くなる、と見ると丁度自分等の前方に長い砂の丘が横わり、その 丘を越えて向う
 におりおり白く煙りながら打ち上がっているものがある。
  何気なく母に訊くと、其処はもう海で、あの白いのは浪だと答えた。
  海! 浪! 私は思わず知らず舟の上に立ち上った。
  舟が着くか着かぬに飛び上って母の留めるのもきかず、その砂丘に走って其処に初めて私は
 広大無辺の海洋と相対したのであった。
  今まで滝や渓にのみつながっていた水に対する私の情はその時から更に海を 加うる事に
 なって来た。