延 岡 中 学 校 の こ ろ

 なつかしき 城山の鐘 鳴りいでぬ 
      をさなかりし日 聞きしごとくに


今の延岡市

  延岡市について牧水は、少年向け読み物「 金比羅参り 」に次のように書いています。

 「日向の国延岡町といいますと、今は相当に開けているそうですが、その頃は極くひっそりした
田舎町でありました。
 でも内藤豊後守という御譜代の殿様のお城のあった城下町だけに、寂しいけれど上品なところ
のある町でした。
 五個瀬川と大瀬川という二つの河が、島のようにその町やその隣村をかこんで流れていました。
 今でも流れていますが。
 町の西寄りのはずれに、城山という小さいけれど嶮しい山が孤立していました。
 名の示すごとくお城の跡の山で、千人殺などという高い石垣などもその一部に残っています。
 今は公園になったとかでたいへん綺麗になっているそうですが、わたしどもの少年の頃には草
木の茂るにまかせた、荒れ廃れた旧城址の山でした。
 ただ、頂上に鐘つき堂と堂守の小屋とがあり、一時間ごとに鐘をついて、町や村の人たちに時間
を知らせておりました。  今でも多分残っておりましょう。」



創設当時の延岡中学校

  延岡高等小学校三年の時に県立延岡中学校が創立されましたので入学試験を受 けまして、
百人中四番の成績で合格し副級長を命ぜられ、寄宿舎明徳寮に入舎し て第一室長を命ぜられ
ました。

 
二年の時初めて歌を作り、次の三首を 「校友会誌」 に投稿しました。
 

梅の花 今や咲くらむ 我庵の
       柴の戸あたり 鶯の鳴く

  身にまとぶ 綾や錦は ちりひぢや
       蓮の葉の上の 露も玉哉

かくれたる 徳を行ひ 顕れぬ
      人は深山の 桜なりけり




 この歌を時の山崎校長先生が激賞されました。

 牧水は校長先生の激賞によって歌を作るたのしみと自信を得たのでしょう。

 その後よく歌を作って中学在学中に新聞や雑誌に投稿した歌は五百首を越えています。



  作歌を始めた頃の牧水(中央)


   回覧雑誌「あけぼの」と「野虹」

  この頃は中学生は小説を読むことは禁じられていました。
 牧水は前述したように尋常科四年の頃から小説(朝日桜)を読んで
 いました ので読みたかったのでしょう。

  友人から『里見八犬伝』を借りて寄宿舎で読んでいましたら舎監の
 先生から 見つけられて叱られた上焼いてしまえと命ぜられました。
  牧水は涙を流しながら「友人から借りた本ですから明日すぐ返しま
 すから許 して下さい」と願ったが許されず、泣く泣く『里見八犬伝」を
 火の中に投じまし た。



  四年生の頃、回覧雑誌を編集しました。
  総合雑誌が「あけぽの」で、歌の同人雑誌が「野虹」で共に各自
 が毛筆で書いた原稿を一冊にまとめています。

                   



  牧水は晩年、中学時代の 鮎釣り を思い出して
       25種の歌を作っています。

  
その中の数首・・・

ふるさとの 渓荒くして 砂あらづ
   岩を飛び飛び 鮎は釣りにき

上つ瀬と 下つ瀬に居りて をりをりに
      呼び交しつつ 父と釣りにき

幼き日 釣りにし鮎の うつり香を
    いまてのひらに 思ひ出でつも

釣り暮らし 帰れば母に 叱られき
       叱れる母に わたしき鮎を