牧 水 と 延 岡 市


  若山牧水は明治29年から高等小学校時代、中学校時代の8年間を延岡で過ごし
 ました。 少年から青年へと成長を遂げる多感な時期を延岡で過ごしました。

  延岡高等小学校の担任であった日吉先生や延岡中学校の国漢の笹井先生、初代
 校長の山崎先生等から、暖かい指導を受けながら、
牧水は、延岡で生来の歌への
 情熱と才能を開花させたといわれています。

 当時の延岡市について牧水は、少年向け読み物「 金比羅参り 」に次のように書いています。


延岡城址「千人殺しの石垣」
  「日向の国延岡町といいますと、今は相当に開けているそ
うですが、その頃は極くひっそりした田舎町でありました。
 でも内藤豊後守という御譜代の殿様のお城のあった城下
町だけに、寂しいけれど上品なところのある町でした。
 五個瀬川と大瀬川という二つの河が、島のようにその町や
その隣村をかこんで流れていました。
 今でも流れていますが。
 町の西寄りのはずれに、城山という小さいけれど嶮しい山
が孤立していました。
 名の示すごとくお城の跡の山で、千人殺などという高い石
垣などもその一部に残っています。
 今は公園になったとかでたいへん綺麗になっているそうで
すが、わたしどもの少年の頃には草木の茂るにまかせた、
荒れ廃れた旧城址の山でした。
 ただ、頂上に鐘つき堂と堂守の小屋とがあり、一時間ごと
に鐘をついて、町や村の人たちに時間を知らせておりまし
た。   今でも多分残っておりましょう。


        
                 城山の鐘

  


中学卒業の頃下宿していた家(現在)

今も当時のまま残っている下宿部屋