第 68 週 平成21年3月15日(日)〜平成21年3月21日(土) 

第69週の掲載予定日・・・平成21年3月22日(日)

伊豆の温泉
(3p目/5pの内)




 挿画 児玉悦夫

 湯ケ島温泉湯本館には当時川端康成もよく泊った。延べ日数にすると三年ほどになるーと牧水の没後間もなく書いた『若山牧水氏と湯ケ島温泉』で回顧している。
 川端は明治三十二年六月一日に大阪市北区此花町の医師栄吉、妻ゲンの長男として生まれている。大正六年に上京、第一高等学校一部乙に入学したが、この一高時代からたびたび湯ケ島温泉に遊び、湯本館を下宿のようにしていた時期もあった。
 名作『伊豆の踊り子』は、二十歳の彼が伊豆の旅で出会った踊り子との淡い恋を数年後に『湯ケ島の恩ひ出』の手記の一部として書き、さらに数年して小説の形にして大正十五年一月、『文芸時代』に発表したものだ。
 踊り子との出会い、手記、小説の執筆のいずれもが湯本館滞在中のことである。
 川端は、自分の湯本館滞在中に『三ヵ月に一度か半年に一度、喜志子夫人やお弟子達を連れて湯本館に来た』牧水に会っているのだが、有名な歌人と学生では親しく物言う機会には恵まれずに終わっている。
 湯本館で川端が見た牧水は、酒仙牧水といわれるだけに酒宴を開いている時が多かった。そしてこれも有名な朗詠がその部屋から聞こえた。旅館の女主人や女中たちが廊下に集まってその声に聞きほれていた。時にはみさき、真木子の幼い姉妹が澄んだ声で童謡を歌って拍手を浴びることもあった。
 あるいはこの年、つまり十一年春の事だったかもしれない。
 牧水が郵便局長ら土地の有志と近くの山の頂上で花見の宴を開いた。日頃は宿で飲んでもついぞ酔態を見せたことがない彼までが皆と一緒に酔ってしまい、踊ったりしてはしゃいだ末に緑の草の芽が美しい山腹をすべり降りるのだと言い出した。
 危いので皆が牧水を取りおさえようとするが肝心の腰が立たない。アレヨ、アレヨという間に松の枝を尻にしいて、ちょうどそりにでも乗ったように何十bかの急勾酌の山腹をすべり落ちていった。
 没後も川端の眼に焼き付いている牧水は、白い股引をはき着物の尻はしおった山帰りの姿であった。喜志子の立派さに比べて彼は実際の年齢よりふけて見えた。いかにもみすぼらしかった。
 『あの童顔の厳しい美しさがなければ、名歌人とは信じられない程だった』
 と書いている。
 湯本館には牧水の誘いで安成貞雄、細野春翠らが訪れた。そのたびににぎやかな酒宴になったが、いつもは仕事に倦むとひとり渓間の小径を歩いていた。
 そして、寂しげな花を手に帰って来た。


 環境のせいか、湯本館では最近になく歌が出来た。それも頭て考える先にペン先から生まれてくる。流れるような感じだった。
 『昨日の夕方、あぢきなく独りで一杯やっていたら、フイと出来だして、一時間ほどの間に歌が三十ほど出来た。おもに山桜の歌だが、相当に採れるものもある(中略)。今朝も、歌が出来そうなので二つ三つと書きかけていると、選をするのがイヤになって、いま困っているところだ』
 四月七日、喜志子あての手紙だ。
 白骨温泉湯治に続く長旅では、四十三日間で歌四十三首を詠んでいる。歌のほかに大正十三年七月に発刊したl『みなかみ紀行』所載の紀行文『白骨温泉』『通蔓草の実』『山路』『或る旅と絵葉書』の四編を書いてはいるが、
それに比べて『一時間はどの間に歌が三十ほど』とは驚くべき量産だ。
 『相当に採れる』といっているが、この春約三週間、湯本館滞在中に作った歌は歌集『山桜の歌』の中心になる『山ざくら』二十三首をはじめ『富士の歌』七首、『湯ケ島雑詠』三十七首、合わせて六十七首。
 特に『山ざくら』は牧水の代表作に数えられるだけでなく、後に桜の文学が語られるとき必ず引用される秀歌である。この一連の山桜の歌から牧水は、旅、酒、富士と共に『桜の歌人』と称される。
 滞在中の歌数首を紹介すると

 うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花

 うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花

 瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき頃の山ざくら花

 山ざくら散りのこりゐてうす色にくれなゐふふむ葉のいろぞよき 
                                =山ざくら=

 山川に湧ける霞のたちなづみ敷きたなびけば富士は晴れたり
                               =富士の歌=

 鉄瓶のふちに枕しねむたげに徳利かたむくいざわれも寝む
                                (深夜獨酌)

 まなかひに見るおもひして我妹子に文かきをれば河鹿なくなり
                            (妻へ) =雑詠=

 あわせて随筆『追憶と眼前の風景』も書いている。この随筆には、

 母恋ひしかかるゆうべのふるさとの桜咲くらむ山の姿よ

 父母よ神にも似たるこしかたにおもひでありや山ざくら花

 牧水は十二歳の春に坪谷を出て二十歳の春に上京するまで延岡の高等科、延岡中学校で学んだ。下宿と寄宿舎での夕食のあと、恋しく思うのは両親であり、なぜか故郷の山を彩る山桜であった。湯ケ島の山桜は少年の日の記憶を呼び戻した。その思いを綴っている。
伊豆の温泉
(4p目/5pの内)




 挿画  児玉悦夫
伊豆の温泉
(5p目/5pの内)




挿画 児玉悦夫

 牧水の筆まめなことは中学生時代からの日記の発受信の記帳を見て驚くほどだが、湯本館滞在中も多忙な中で頻繁に手紙や葉書を書いている。  三、四通も出した日もあるほどだ。
 特に喜志子とはしょっちゅう文通している。いまに残っている分だけ拾っても次のようになる。
 三月二十八日(絵葉書)。湯本館に着いた直後のもの。『木々の若芽の柔かさ、河鹿の声、相客の静かさ、どうでもこいつァ勉強せずばなるめえよ』
 同三十日(絵葉書)。『お前の元気は直ったか』 『これは石楠木だ。十日もすれば咲くかとおもふ』
 四月一日(絵葉書)。『来た時から鈍痛を覚えていた歯が、一昨夜から本式に痛み出し、一夜不眠』
 同七日(封書)。『写真を送る。この間、穂積君が来て撮ったものだ。谷間のさくらは木立の淵(左手に小屋の見えるは野天の湯だ)。傘をかついで立っているのも其処』。
 同九日(葉書)。『ツラのふくれ(写真のこと、筆者注)そうかネ、あれをば僕もそう思ったのだ。やはり歯のせいだったろう(中略)。マアコヨンヨンフコドンドン (真木子、富士人、同)と拍子をとって湯滝に頭を打たせてると、涙が口からも鼻の先からもしゃア々々出て来る』
 同十一日(封書)。『〜お前のゆめを見た。是非、此処に来て貰うことにしよう。気の毒だがふうちゃんはその間おるす番できないか知ら。とにかく両人だけでいたいし、歩きたい。いろいろ考えている。   牧水
 こひしき 喜志子様へ     』
 同十三日(封書)『ほんとに啄木の日だねェ。朝日の写真を見て、昨夜、ハッと思ったのだった。不幸なる友人!』
 同十四日(葉書) 『−新聞の転送は見合わせて下さい。私信は続けること』
 同十五日(同)『昨日からまた急に歯が痛み出した。山登りで肩が凝ったのをすてておいたためだ。昨夜眠らず。これからお医者に頼み歯の根を切って貰おうと思う』
 善志子は四月十八日に湯ケ島に来た。牧水は前々からの予定通りに天城山北麓一体を案内した。さすがに山桜の花は散り果てていた。しかし、喜志子にはそれはそれでよかった。

 やよ汝よ心かよわさ清らかさ山ざくら花に似ずと言はめやも

 そう思ってくれている牧水と二人きりで若い芽立ちの樹問の道を歩く。ただそれだけで身内いっぱいの幸福感に酔っていた。
 二十日に夫婦は沼津に帰った。伊豆の山々にはもう初夏の気配があった。 

  湯ヶ島温泉から帰ったあと四月中は多忙だった。二十二日から上京して翌日の創作社大会に出席、二十四日に帰宅すると二十五日には山崎斌、服部純雄の両家族と牧水一家がそろって近くの長岡温泉へ家庭サービス。妻子らは滅多にないことだから大喜びだったが、引率責任者?の牧水はすっかりくたびれた。
 世話好きだから大供の宴会から子供たちの遊びまで、自分で指図しなければ落ち着かない性分だ。気疲れで帰ってから数日は寝込んでしまった。
 五月十三日夕には東京の細野春翠が来訪した。歌を見てもらうというのだが、それは口実で、師と一杯酌みかわしたいのが本音であった。本人は量的にそういける方でない。牧水の酒の雰囲気にすっかり魅かれていた。
 その夜も早速酒になったが、折角だから明日はどこかに足を伸ばすことになった。あれこれ二人で思案のあげく箱根の芦の湖畔にホトトギスを聴きに行くことになった。
 早々と床についた牧水は翌朝三時に起きて雑誌に出す歌を清書して九時には草鞋をはいた。三島の宿はずれから旧箱根街道を登った。
 朝曇っていたのがいつか晴れてくっきり富士が初夏の青空に浮かんでいる。見晴らしのよい場所に来ると腰をおろした。昨夜、見れなかった細野の歌稿に朱を入れるためだ。彼は傍で神妙にひかえている。
 松風の音がさわやかな木蔭で師と弟子の心がひと色に溶け合っている。見る人には一幅の絵とも見える情景であった。
 急ぐ旅ではない。こうした道草を食いつつ芦の湖畔の旧本陣石内旅館についたのは午後二時を回っていた。
 牧水は、別の雑誌に送る歌の清書にかかった。細野はノートをふところに宿を出た。
 清書だけなのに仕事が捗らない。煙草をふかしていると、 『はったんかけたか、はったんかけたか、けきょ、けきょ』
 思いがけなくホトトギスの啼く声が聞こえてきた。その啼き声を聞きに十六`余の山路を登ってきたのだが、宿に着くとすぐ机に向かっていたので気付かなかった。
 夕食は窓をあけたままとった。杯をふくんでいると、冬枯れのままの山の中腹あたりからホトトギスの声が聞こえてきた。
 その啼き声は二、三時間熟睡して目覚めた寝床にもとどいた。外は月夜だった。牧水は部屋を出て庭下駄をつっかけて湖の岸辺に降りた。
 月がさざ波にくだける湖水に手拭いをひたして髪と顔をふいた。冷気が身内に走った。
 牧水の気配に細野も目覚めたものか。降りてきて傍に立っていた。

  
つづき 第69週の掲載予定日・・・平成21年3月22日(日)

ホトトギス
(1p目/3pの内)




挿画 児玉悦夫
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