第 6 週 平成20年1月6日(日)〜平成20年1月12日(土) 

第7週の掲載予定日・・・平成20年1月13日(日)

  愛宕の嶺を
  
(1p目/10pの内)









    挿画 児玉悦夫
 県立延岡中学校の開校で牧水も同校入学を志望した。
 第一回生の志望者は、牧水ら高等小学校三年課程終了者のほか
同四年卒業者、廃校になった亮天社の二年級生ら幅広く多数であっ
た。
 受験者数はわからないが、合格者百人のうち、牧水の成績は四
番。五十人ずつ二学級に分け、その一方の組の副級長を命じられ
ている。
 県北唯一の中学校だから、延岡以外の町村からの入学者も少なく
ない。このため、学校に寄宿舎が設けられた。
 旧延中同窓生にとって、杜(もり)とともにその名が郷愁をよぶ
『明徳寮』である。
 牧水も下宿をはらって入寮。一室の長に任命された。
 寮では、寮生の親睦をはかるため毎月一回土曜日の夕べ、茶話
会が聞かれた。牧水は、その第一回の会で紀行文を朗読、寮監や
寮生拍手を浴びている。
 以後、茶話会、講演会では、牧水の国文の朗読が人気をあつめ
た。
 牧水の朗詠には定評かある。さびのある美声と、歌のこころをつか
んだ、抑揚に富んだ節回しは、聞く者をうっとり酔わせた。
  『牧水の前に朗詠なく、牧水のあとに朗詠なし』とまで言われた。
だが、短歌や詩の朗詠だけでなく、散文詩、美文の朗唱も得意とし
ていた。
 その片鱗が、この中学時代から見えていたわけである。
 朗読、朗唱だけでなく国語の授業でも優秀な成績をあげ、特に作
文に秀れていた。このため国漢教師笹井秀次郎にその才を愛され
ている。
 延岡中学校の初代校長は山崎庚午太郎。大学出たての俊秀。か
なりの気負いもあったろう。スパルタ教育法に傾倒し、校則なども極
めて厳しいものだった。
 生徒は夏は白の筒袖(そで)に黒袴(はかま)。冬は黒の筒袖に黒
袴が制服。あとでは、洋服になったが、それでも外出(和服で)には
必ず袴をつけ、夜はちょうちんを持たねばならなかった。
 延中同窓会行事というと、古い卒業生ほど 『ちょうちん行列』を恋
しがり、企画する。
 『敬礼』とともに“延中の華”として今に生きている。創立当時の名
残りであろう。
 敬礼は、教師、上級生には八歩前からハ歩過ぎる?まで、立ち止
まって挙手注目の礼をした。終戦まで続いた。朝礼の際、敬礼した
まま運動場て立ち往生していた新一年生がいた。
 山崎校長の教育方針が、牧水ら一回生以末延中生の伝統になっ
たものだろう。
 その中学生活の中で牧水の文学は芽ぶく。

 牧水の文学へのあこがれ。これには山崎校長の影響が多分にあ
った。
 山崎はもともと史学専攻の人たった。校長訓話の時間中、しばし
ば西洋の偉人の名前を引用、田舎の中学生を面くらわせた。
 しかし、単なる史家てはなかった。詩心もあり文才もあった。明治
二十六年二月、博文館から『俳諧史談』という著書も出している。
 笹井秀次郎と同じように、山崎もまた牧水の詩才、文才を認める
のに、さして時間を要しなかった。
 山崎校長の企画てあったであろう。三十四年二月に延岡中学校
の校友雑誌第一号が出た。
 二年生、といっても最上級生の牧水も『雷雨』という短文と、
和歌、俳句をのせている。

           早春懐梅       第二年生    若山 繁
   梅の花今や咲くらむ我庵の柴の戸あたり鶯の鳴く

           奢美をいましむ
   身に纒ふ綾や錦はちりひぢや蓮の葉の上の露も玉かな

           陰徳家
   かくれたる徳を行ひ顕れぬ人は深山の桜なりけり

           親の恩
   病んで見て親の恩知る異郷哉

           紅 葉
   牛かひの背に夕の紅葉かな


 山崎校長は、この作品のうち特に『かくれたるー』など激賞した。
 この人の人柄がわかる思いがする。
 山崎自身も、校友会雑誌第一号に『発刊の辞』『新年の辞』を書
いたほか、論説欄には『国体と国民道徳』『国民は国史に通ずべ
し』。学術欄に『ライガーガス』『日本尚武史』。文芸欄に『西行法師』
『香川景樹』を書くという健筆。
 ピッチャーで四番打者どころじゃない。雑誌を校長ひとりで作った
ようなものだ。
 まだ若い校長の驚くほどの健筆に牧水はいちはやく心酔した。
山崎もまた、年少の牧水の並ならぬ才能に着目している。
 牧水としては、この校長から大いに得る所を期待していたであろ
う。
 だが、惜しいことに、山崎は、それから間もない同年四月一日、
病を得て他界した。
 牧水には『海の声』から『黒松』まで十五冊の歌集がある。これ
に収められた歌は約七千首に及ぶ。
 十五冊の歌集には無論収められてはいないが、この校友会雑
誌第一号に発表した歌三首が、今に残る牧水の最も古い歌であ
る。
 恐らく処女作と思えるこの歌は、牧水数え年十六歳のころの作
であろう。
愛宕の嶺を
  
(2p目/10pの内)











挿画 児玉悦夫
愛宕の嶺を
  
(3p目/10pの内)











挿画 児玉悦夫
 校友会雑誌第二号が、同年三月末に続いて発行されている。
 牧水は、この号に『春の山越』『同生菊池君の竜の図に題す』の
二つの文章を載せている。このほか俳句三句もあるが、歌はない。
 この間の牧水の学校生活のようすを伝える書簡がある。本稿20
号に登場した山本七郎。高等小学校時代の同級生で、常に首席を
しめていた山本にたよりを寄せている。
 明治三十四年の旧正月元日に出したものだ。全集(雄鶏社刊)第
十一巻の書簡の部の二つ目に掲載されている。
 封筒の表書きに『磯打ツ浪松吹ク風ノ里ニテ、山本七郎大兄、机
下』。裏面に、『俗塵百尺ノ中、若山 繁、旧正月元旦』とある。
 若山繁の署名の下に『秋空』と刻した小ぶりの丸印が押してある。
あとで述べるが、彼の当時の雅号のひとつである。
 以下少々長くなるが、中学生牧水の生活とものの感じ方がわか
ると思うので紹介する。

 前略御免
 ○貴兄には其後相変らず松風、浪音、を友として長閑にすこやか
に乱世の憂きをも知り給はず御暮しの事と奉察候。小生は相変ら
ず浮世の浪に漂はされて英語て泣かされ、算術で叱られ、代数で
は大目玉を頂戴致し漢文では笑はれて日に日に苦しさの増すのみ
にて 『嗚呼斯様の事なら始めから学校へなどは入らねば善かっ
た』などと人知れず毎日泣き居申候。実に哀れの身には候はず
や!
 ○只今は第三学期試験の最中にて大きな頭をかかえてウンウン
うなり居申候。特に三月には学年試験即ち大試験の有之可く候
間、只今より考へでもゾッと致し候!
 ○貴兄も御存じならんが小学校の特より体操の先生であった木
原曹長は一昨昨日故ありて辞職致され候!
 ○永久保、百渓、古川、等の諸君相も変らず一番二番を争い居
られ候。
 ○新聞では本校校長をヒドク攻げきシテアルソーデスガソンナニ
悪イ校長デハナイデスヨ
 ○本校ノ運動会は益々盛ンデス。紀元節ニモ運動会ガアリマシ
タ。シカシアマリ盛ンデハ無カッタデス。
 ○本校の校地を都合五千坪バカリ拡張致シマシタ。ズイブン大キ
ナ運動場ニナッタデスヨ
 ○私モイツカアナタヲ御訪問致シテ今昔ノ話ナド致シタク候へ共、
悲シヒ哉学生の閑無クテ其意ヲ果タサズ候。失敬々々悪意ニアラ
ズ。
 ―(まだ、この後が続く)。


 ○学校デ雑誌が発行ニナリマシタ。ズイブン面白イ文章ナドガアリ
マス。
 ○今日は旧の正月の元旦さ。デスガ私等ハ寄宿舎ノ食堂ノ中デ
七十六人ガ皆大根味噌汁ヲ食フテ年ヲ取り居申候。呵々々々。
 ○雲井二歌フ雲雀ノ声聞ク時、長閑二霞ム春ノ山辺ヲ見ル時、ド
コカニカ遊ビ二行キ度ク候へ共、悲シイ哉、身ハ寵ノ鳥、只室内ヨリ
否、龍ノ中ヨリいたづら二眺メタリ、聞イタリシテ居り候。嗚呼々々。
 ○当地方へ御出デノ節ハ是非学校ヲ御訪ヒ下サレタク候。是非々
々。
 ○今ヨリモ猶時々ノ御通信ハ切二望ム所ニ有之候。
 ○先ヅ貧書生の悲シサ、只ノ半紙ニサヘ書ク事叶ハズ、西洋紙
ニヨリテ乱筆ヲ以テ御伺ヒ迄早々(小生ノ字ヲ書ク事ノ上手ナルニ
ハ驚キマス。小学校ノ時カラ少シモ変リマセヌ)。
 山本大兄
  兄上六助様ニモ宣シク御伝言ヲ乞フ
  貴兄ノ御写真有之候ハバー枚是非二御役
  与下サレ度候。小生の美面モ追テ御目ニ
  カケ申ス可ク候。


 句読点を付しただけで、あとは平仮名、片仮名、漢字、すべて原
文通りで全文を引用した。
 若い読者に説明する。『候』は『そうろう』。つまり口語文と候文を
混用している。それも、明治中期の中学生らしい。
 牧水はこのころ、当時の数え方で十七歳の初春。現代では高校
一、二年生である。
 両者が書く文章の比較にもなろうかと考えて、あえて全文を原文
のまま紹介したわけだ。
 だから、故意にふりがなも省略した。
 牧水自身は『小生ノ字ヲ書ク事ノー』と謙そんしている。だが、西
洋紙いっぱいに書いた毛筆文字は闊達(かった言。十六、七歳の
少年にしては枯れた趣さえある。
 晩年の牧水の筆跡は、専門書家のそれとは一種異なる味わい
がある。今に、愛好家が万金を投じて求めるゆえんである。
 此の山本七郎あての手紙の文字。すでにそのきざしを見ると言っ
ては、身びいき?のそしりを受けるだろうかー。
 高等小学校二年で退学した山本に伝える新設の中学校の近況。
彼の友情が文面にあふれている。
 また、よく内容を読めば、同級生時代、常にトップを走っていた山
本への敬意もうかがわれる。彼の少年時代の心根をのぞきみる貴
重な資料てある。
 ただ、一ヵ所、ひっかかる一節がある。校長攻撃の新聞記事であ
る。
愛宕の嶺を
  
(4p目/10pの内)








挿画 児玉悦夫
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